跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/07/20 BGM: Lenny Kravitz - Are You Gonna Go My Way

相変わらず忙しい日常が続いている。ゆっくり時間が取れたらこないだ日曜日にあったミーティングの記録を仕上げたり、あるいは谷川俊太郎を読んだりしたいと思っているのだけれどなかなか果たせない。身体は1つしかないのでその身体をいたわり、食事を規則正しく摂り休める時に休むことを心がける。まだ死にたくない……実を言うとこの日記を書くことに困難を感じている。詩を書くようになって、日記用のメモを書く時間が取れなくなってしまったのでこの日記に何を書いていいかわからなくなってきたのだ。ネタ切れというやつだ。TwitterFacebookなどでネタを見つけてそれに食いつき、コメントを書いていくことを試みた方がいいのかもしれない。気になるニュースならいろいろある……ただ、そうしたニュースにコメンテーター気取りであれこれコメントを書いていくのはどこか気恥ずかしい。ほんとうに責任を以てコメントをしたいなら事件・出来事の背景について深く調べなければならないのだけれど今そんな「調べる」時間は取れそうにない。こんな時に自分の限界を感じる。体力・気力がないのが悩みの種である。まあ、しょうがない。与えられたカードを組み合わせて最善手を編み出すまでだ。

ぼくは昔からどん臭い子だったので、「なぜ殺人は悪なのですか」「なぜ自殺してはいけないのですか」と考え込む要領の悪さに悩んでいた。これに関してはうまく言えないけれど、「納得できないと先に進めない」と言うしかないのだった……こうした問いは確かな正解を誰かが教えてくれるというわけではなく、各自が自分にとって「腑に落ちる」答えを見出すべきものだろう。「なぜ戦争はいけないのか」「なぜ麻薬はいけないのか」、というような問いもぼくにとっては実にタフなものだ。逆に言えばそうした問いをあれこれ自己流で考え続けてきたことが今のぼくを形作る礎になっているのかなと思う。でも、そうした「腑に落ちる」まで考える訓練は大事ではないかと考える。「なぜ麻薬はいけない?」と問うことから「麻薬によって潤う闇社会が存在しうる」「麻薬を入れた自分はほんとうの自分と言えるか」「麻薬は人を幸福にするとは限らない」といった仮説が次々と出てくる。そうした事柄を考えることはぼくにとって楽しいし、多様な価値観に触れる訓練にもなると思う。だが、もちろんこれは恐ろしく効率の悪い考え方でもある。コスパが悪い。そのコスパの悪さを引き受ける覚悟……そんなことを考える。

今のぼく自身について振り返ると、弱いところだってある。決して「見て見ぬふりをする」「臭いものに蓋をする」という仕草と無縁に「いついかなる時も自分を貫き通し続けている」とは言えないことを断っておくけれど、それでも(これは出世にも金儲けにもつながらないとわかっているけれど)自分なりの「integrity(『内的規範』もしくは『俺ルール』)」にしたがって生きることを心がけているつもりだ。前にこのブログの読者が教えてくれた「外柔内剛」の発想、そこから「我慢と寛容さは違う」と言ってくれたことを思い出して……そして、これは異論もありうる(ので、繊細な議論を要すると思う)けれど過去を振り返ればそうした「integrity」を貫き続けて曲げなかった人が歴史を創ってきたのだと思った。それは時に反発を呼ぶだろう。嫌われ、足蹴にされることも想像に難くない。それはそれでしょうがない。自分に嘘をつきたくないので、これからもこんな生き方を続けて自分の書きたいことを書く。善悪の判断基準は、ぼくにとっては「ぼくの内側」にある。確かに「外側にある」価値基準をおろそかにしてはいけないのだけれど、その「外側にある」ものをいったん自分の内に取り込んで「腑に落ちる」まで考えるのがぼくのやり方だ。

夜、ZOOMのミーティングに参加する。でも情けないことに朝の仕事でクタクタになってしまっていたので、いつも以上に「置き物」みたいに黙り込んでしまって半ば眠ってしまっていた。面白い内容だったのにそんな体たらくだった自分を反省する。今回のミーティングの内容は栄養についてで、寿命は伸びているけれど食事が満足に摂れないから起こる「新型栄養失調」の問題が生じていることを教わった。ダイエットや、あとは不景気(現実的には日本という国の慢性的な経済的「衰退」だろう)から来る食生活のドラスティックな変化が原因だ。思い出すのは昔、ぼく自身がヘビードリンカーだった時代にろくに食事を摂らずに酒で腹を満たし暮らしていたことだ。よく身体を壊さなかったものだと思う。今はグループホームの方の配慮で計画的な食事の支援が入っており、健康指導も念入りに行われている。健康第一、かつ断酒。ただ、若い頃の酒の呑みすぎだけは後悔しても始まらない。若い頃をあれこれ悔いても始まらないので、自分自身の「integrity」を見失わないようにして生きることを心がけたい。その「integrity」が「今はひたすら身を清めて詩作に励みなさい」と言っている……ように聞こえる。気のせいではないと信じる。