跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/04/21 BGM: Flipper's Guitar - Camera! Camera! Camera!

あったことを書こうと思う……今日は遅番だった。朝、グループホームで居ても立っても居られない気分になったので早々とイオンに行く。だが、そこで読書に興じる気持ちにもなれなかったので思いをこじらせてしまう。人にLINEでメッセージを送る。ライフラインを使い切ろうと思った。頼れる人にすべてを預けようと思ったのだ。仕事に入る。仕事なんてできる精神状態ではなかったのだけれど、でも早退させてもらって部屋に居てもたぶんロクなことを考えられなかっただろう。身体の中からエネルギーを振り絞って作業をする。そうすると身体が勝手に仕事をしてくれる。結局、ほぼいつものように(あくまで「ほぼ」だけど)仕事をすることができた。明日は休みだ。明日、人とお会いできたらもっと自分の中の混沌とした思いを語ってしまおうと思う。その後のことはそれから考えようと思う。

この日記ももう書けないとも思った。いや、書くべきではないのかもしれない。書けば書くほどこじれていくのかもしれない……だが、書くのを止められないのもまた確かだ。昔からずっと自分はこうして「書くこと」を続けてきた気がする。文章に才があると信じて、大学生の頃に仲間とミニコミを作ったり自分独りで小説を書いたりしたことを思い出す。書くことが自分を育ててくれたと言えるし、あるいは書かなければもっと楽に生きてこれたとも言える。何にしても難儀な人生と言える。言葉の力というものを信じているのかもしれない。言葉を尽くせば……論理を尽くせば相手を説得できるというあっけらかんとした信心があるのかもしれないと思う。後にカフカの文章に親しむようになったのも(彼の日記はまだ読んだことがないのだけれど)その影響なのかなと思う。

何人かの方から懇切丁寧なメッセージをいただいた。厳しい意見もあったが、それで絶交してしまうほど私は恩知らずではないつもりだ。だが、今の精神状態では素直に/虚心にその言葉を聞けそうにないので待ってほしいと答えた。回復を待ってほしい、と……今はそういう気分なのだ。これは単に季節や環境が変わっていくことに自分がついていけていないからなのかもしれない。それだけの問題なのかもしれない。ならば、慣れれば必ず回復する。リズムをまた掴める日が来る。これまでもそうだった……自分はずっとこの「ままならない」自分自身をなんとか乗りこなし、そしてここまで来た。これからどうなるのかわからない。今度こそデッドエンドなのかもしれない。だが、なすがままに。そうすれば悪いようにはならない、と信じることにした。

こんな時でも腹は減る。ご飯を食べて、心と身体を整える。取り乱して、混乱する自分自身を受け容れて下さる方の優しさに感謝したい。ああ、自分は助けられてきた……自分独りの悩みに閉じこもって物憂い日々を過ごした時期、ずっと酒に溺れて身体を痛めつけていたことを思い出す。悪夢のような日々……それから何が変わっただろう。まだまだやりたいことはある。断酒して欲が出てきたのかもしれない。いつも「自分の幸せは自分が決める」と言っているが、こんな時に欲が出てしまう。生きることに執着して執念深く生きるべきか、それともとらわれないでもっとフリーに生きるべきか……いけない、また大づかみに物事を考えてしまった。具体的な問題を一個一個ていねいに片付けて、回復を焦らないこと。それが結局大事なのだろうと思う。それでいい。