跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/03/30 BGM: The Stone Roses - Fools Gold

ストーン・ローゼズというバンドが「憧れられたい」という歌を歌っている。実に危険すぎるほど正直だ、と感心してしまう。でも、この歳になって私自身の中でもそうした「憧れられたい」という感情が確かに芽生えるのを感じることもある。もちろん謙虚さを失ってそうした尊大な感情に身を任せてしまった時点で人間終わりだとも思うが、しかし自分自身はこれまでずっと「自分はしょせん人間のクズだから」と自分のことを信じ込んで生きてきたのだった。なので皮肉交じりに、「たいした変化じゃないか」と呟いてしまう。酒を断ってシラフで暮らすようになり、断酒会や発達障害を考えるミーティングで認められるようになったので端的に欲をかいているのだろうかと思う。だがもちろん、結果を出さなければどんな大言壮語も結局は「ビッグマウス」で終わってしまう。私は結果を出すべきだと思う。そしてもちろん、今の段階ではまだ自分は結果を出せていない。日記だって600日程度で満足していてはいけない。

沢木耕太郎『バーボン・ストリート』を読み終えたので『チェーン・スモーキング』を読み始めた。この本の中で「老いすぎて」というエッセイが登場する。ボクシングの世界で40代で現役を退かなければならない厳しい現実とジャーナリズムの世界の現実(そこでは「生涯現役」に挑むことさえ可能だ)を対比させたもので、実に読み応えのある深い文章だ。私自身は現在48歳なのだけれど、今の仕事が私自身にとっての「男子一生の仕事」になるのかもしれない。もしかすると定年退職まで……もともと「半年持てばいいじゃないか」と思って試してみるつもりで始めた仕事がここまで長続きするとはこれっぽっちも思っていなかったのだけれど、それが人生なのかなとも思う。ただ、どう生きるにしても確かに「盛り」をすぎることはありうるだろうと思うけど、心のなかでは常に成長を意識したいとも思うのだった。体力も性欲も確実に衰える。だが、人間力は「右肩上がり」に昇れればいいな、と(そう簡単にはいかないのもまた「人生」なのだろうけれど)。

Facebookで知り合ったロシアからの女性がWhatsAppでメッセージを下さる。彼女とやり取りをする。私自身が早稲田大学を出たということ、英文学を学び今も読書を趣味としているということ、2007年に発達障害と診断されたこと、今も障害者枠で働いているということ……いろいろ書きながら、実に不器用に生きてきたものだと思う。これに関して説明するとすれば日本が未曾有の不況に陥ったこと、そこから「ロスジェネ」と呼ばれる世代が生まれたことなどを語らなければならない。彼女自身はお子さんが同じような発達障害の傾向を見せているということで、私の経験から学べないか探っているようだ。だが私がロシアの発達障害の支援の現状を知らないことに加えてこの半生を独身で通してきたことも祟って「お気の毒ですがノーコメントで……」という塩対応で通すことになってしまい、自分自身を恥じてしまう。彼女の疑問についてそれでも日本の支援者からコメントすることが参考になりうるのであれば、私が翻訳者の役割を務めるのも無駄ではないかもしれないと思った。

夜、ZOOMでミーティングに参加する。今回のミーティングは参加者の方の離島での暮らしぶりについて。まったくフォローが追いついていない話題だったが、蓋を開けてみると韓国と距離的に近いとある離島の暮らしについて知ることができた。こうした国際感覚を養うことも大事なことだと改めて思う。またひとつ学ぶことができた。その後本を読む気にもなれなかったのでダラダラとDiscordでダベる。ある方の川端康成『雪国』の英訳を楽しみ、私ならどう訳するだろう(到底無理に決まっているのだけれど)と思ったり……そしてとあるサーバでチャーマーズの『リアリティ+』という本が紹介されており、図書館のサイトで調べると所蔵されていると知りさっそく読むことを決意する。こういうことがあるからネットサーフィンはやめられない。実はチャーマーズの本は読んだことがないのだけれど(「哲学的ゾンビ」という概念の生みの親だ、ということくらいしか知らなかった)、この本がまた私を哲学に導いてくれるのだろうか?