跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/12/18 BGM: 砂原良徳 "Sony romantic micro wave"

今日は私がいつも参加している発達障害を考えるミーティングの日だった。ZOOMを立ち上げて参加する。このグループからは多くを学んでいる。今日はジョブコーチとして支援に入っておられる方のお話を聞き、仕事をすることの意味を今一度見直せたようなそんな気になった。そして、昨日も書いたようにいよいよ私たちのグループのウェブサイトが立ち上がる。ただ、今の段階でお披露目にはまだ早いということで、これからじっくりコンテンツを煮詰める必要がある。これからどんなウェブサイトを作ることができるだろうか。楽しみに感じられる。

そのミーティングで、困っている人の話を聞いた。働いていた頃の給与と、今になって適応障害で働けなくなってからの生活保護の受給のタイミングのせいでお金を受け取れないというのがその骨子だ。ミーティングがはねた後私もLINEで周囲の人に彼に力になれないかと訊いてみる。こうした、本当に困っている当事者がどういう制度を利用してどうつながったらいいのかわからないというのが問題ではないかと思う。私もグループホームのスタッフがいなければ市の給付金などを利用することはできなかったはずだ。改めて不条理を感じ、自分の境遇に感謝する。

午後、水村美苗私小説 from left to right』を読む。実に女性的な小説だ。それは著者が丹念に彼女の姉との会話を書き記すこと、彼女の思い出に登場する女性たちのこともまた丁寧に記述することから来るのだろう。彼女は幼い頃アメリカにわたり、そこで育った。彼女の中で日本語と英語は決して友好的な関係として共存したわけではなく、むしろそこに感じられる溝をこそ意識せざるをえなかったという。私はどうだろうか。私は日本語と英語が単純に融合した世界を生きている。だが、私だって溝は感じる。その溝を面白がっている程度にはまだまだ甘いというか、ノーテンキなのかもしれない。

夜、読みかけて頓挫していた東畑開人『居るのはつらいよ』を読む。「ケア」と「セラピー」について記されている。私たちを「癒やす」のが「ケア」、つまり悩んでいる人に寄り添いその現状の中で当事者を回復させる力となる。「セラピー」はその当事者の問題を解決させるべく彼らを変える力だ。どちらかが(一方的に)いい、という問題ではなくこの両輪があってこそ私たちの心はやっていけるというのが著者の主張の骨子と見た。実に透明な散文で書かれたわかりやすい本で、私自身学ぶところが大いにあった。私もまた冒頭で記した自助グループから「ケア」と「セラピー」を両方施されていると感じ、我が身の僥倖に感謝する。