跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/03/12 BGM: Sly & The Family Stone - Dance to the Music

今日は宍粟市国際交流協会が主催するピクニックパーティーの日だった。天気がどうなるか心配したのだけれど、いざ蓋を開けてみれば春らしいうららかな日差しが差すピクニック日和となった。朝、緊張する。こんな時に大事なのは落ち着きだと思い、スティービー・ワンダー「We Can Work It Out」を聴いて心を励ます。行ったことのない場所だったので愛機というか愛バイクを走らせて、グーグルマップを頼りに向かう。途中迷子になったかと危ぶんだ瞬間もあったのだけれど、何とか着くことができた。そこですでに何度かお会いしたALTの先生方とも挨拶を交わし、さまざまなゲームに興じる。椅子取りゲームやフルーツバスケットジェスチャーゲームといったゲームだ。先生方の英語にも脳が慣れてきて、次第にゲームを楽しむゆとりを感じられるようになってきた。面白いひと時だったと思う。

その後、すでに準備ができていたホットドッグをいただくことができた。あらかじめ調理されたソーセージやオニオンなどの具材を自由に選び、そして食べる。春一番が強い日だったので屋外での食事は風に悩まされて大変だったのだけれど、終わってみれば美味しいホットドッグを楽しむこともできていいイベントだったと思った。実にアメイジングなイベントだった。ひとつ私が印象に残ったのは、ALTの先生方2人に「How are you doing?」と訊かれたことだ。いや、これは堅苦しく考えず「I'm well, thank you」と答えてお茶を濁せばいいのかなとも思うのだけれど私はつい「I’m waiting for Haruki's new novel(最近は村上春樹の次作を待っている)」というように本気で答えてしまう。日本語の挨拶にそうした「近況報告」的な性格はないので、ここでつい私の脳がパニクってしまう。普段からこうした「近況報告」に応えられるようにした方がいいのだろうか、と考えてしまった。

その後またグループホームに戻り、そして夕食までのひと時を片岡義男『影の外に出る』を読んで過ごす。実にシビアな日本人批判に唸る。この本はイラク戦争に揺れた時期の日本に関する時評なのだけれど、片岡はそうした戦争への日本のリアクションを通して日本人が冷戦の過程を経て日本という国をリアルなものとして構築するだけの自信を失ってしまったこと、ゆえに自主性を以て振る舞うことができず対米関係に関して従属するしかない国になったことを厳しく指弾する。日本人の政治家の抽象的な言葉遊びに関しても片岡は鋭く批判する手を休めない。もちろん、ここでの片岡の姿勢を批判することもできる。片岡も所詮は片岡で言葉遊びに淫して「軍師気取り」で振る舞っているだけではないか、と。だが私はこの立場を採らない。もっと別の視点から片岡と接したい。

その後、夕食を摂りそして就寝までの時間を読書で過ごす。マイケル・ギルモア『心臓を貫かれて』を読み進め、その内容の濃密さに唸る。これはじっくり腰を据えてかかりたい本だ。ある程度まで読んだ後、本をスイッチしてヘミングウェイの短編集に切り替える。若い頃読んだ時は何の感興も感じなかったヘミングウェイの短編集。オチも何もなく、ただ短編の中で作者はカメラアイに徹して状況を切り取るだけ。それだけのことなのだが、今になって読むとそのカメラアイとしての徹底した「エゴのなさ」に凄味を感じる。かねてから私はずっとヘミングウェイを語る際についてきた「マッチョ」な「パパ」というイメージに懐疑的だったのだけれど、この短編群でも彼の繊細さは遺憾なく発揮されていると思った。これから少しずつヘミングウェイを読んでいくのも悪くないかもしれない。