今日は遅番だった。朝、ジョン・アーヴィング『オウエンのために祈りを』を読み進める。いつも本を読む時は音楽を聴くのだけれど、今日はポール・マッカートニーやブライアン・ウィルソンを聴いた。あとはビーチ・ボーイズ『ペット・サウンズ』などを……そうした音楽に懐かしさを感じる。ロクなことがなかった私自身の幼少期だったけれど、こうした優れた音楽を聴いているとそれでも悪くなかったのかもしれないなと思えてきた。ちょうど『オウエンのために祈りを』で書かれている主人公たちの幼少期のように。
『ペット・サウンズ』は何度か聴いてみたことがある。確かに素晴らしい、凄味すら感じるアルバムではあると思ったけれど私の肌には合わなかった。これまで、私は結局ライバルだったビートルズのポップセンスの方を選んでしまっていたのだった。だが、今聴くと実にしみじみと楽しめる。多分これは(昨日も書いたことだが)自分の人生が新しいステージに移ったからではないかと思う。50代に差し掛かったから……これから『オウエンのために祈りを』を読み進めながらブライアン・ウィルソンに浸る。それもいい過ごし方ではないかと思えてきた。
その後英語研究会の課題で英訳された柳美里の小説『JR上野駅公園口』を読み進める。ホームレスの主人公の目線から捉えた上野駅の情景が目を引く。私自身、もし大学を出たあとそのまま東京に留まっていたら確実にホームレスになっていただろうな、と思う。稼げず、酒も止められず……雨宮処凛のルポルタージュで、都市部でホームレスに身をやつした人たちの日常が綴られているのを読み居た堪れなくなったことを思い出す。ああ、仕事を始めてからもいずれ自分はホームレスになるんだと思い込んで、ずいぶんやけっぱちな日々を送ったものだ。
昨日調べ物をしていて、「凡事徹底」という言葉を知った。平凡な事柄を平凡なやり方でこなし、それを徹底することが非凡に通じるというのが骨子である。今の仕事に関しても自分は「こんな誰にでもできる仕事」と思い込んで腐っていた時期があったけれど、考えてみればイチローがバットを振ってヒットを飛ばすことですら「誰にでもできる仕事」である。そんな仕事を、自分なりの流儀でこなして徹底することが奇跡を呼び起こすのではないか。わからないけれど、私なりに徹底したいと思って仕事をこなしている。今日もうまくいったと思うのだけど、どうだろうか。