跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/08/04

BGM: Yes "Owner of a Lonely Heart"

今日は午前中は晴れていたけれど、午後から天候が急変して豪雨が降ったりして落ち着かない天気だった。水村美苗私小説 from left to right』を、ルー・リード「ワイルド・サイドを歩け」などを聴きながら読み進める。実を言うとこの小説を私は一度読んだことがあった。だが、その時は私がまだ幼すぎたのでいったい横書きで書かれていること、英語と日本語を使いこなした文体で書かれていることにどんな意義があるのかまったくわかっていなかった。今ならわかる気がする。この文体に慣れると饒舌な主人公の語り口にすんなり入り込める。

私小説 from left to right』を読んでいると、私の深読みがすぎるかもしれないがこの語り口を見つけた水村美苗の喜びが感じ取れそうな気がする。この語り口に乗せて、自分の語りたいことを縦横無尽に語れるという喜びだ。彼女の語りたいこととは、日本文学を読んで育ちながらアメリカの土地で暮らし続けている一種の分裂状態というか、精神的なエクソダスを生き続ける孤独感ではないかと思う。その孤独感を表現するために、彼女は自身の思考を構成する英語を大胆に日本語の中に取り込む必要があったのではないかと思った。

私自身も自分なりの『私小説 from left to right』が書けるだろうか、と考えてみる。あるいは私なりの『吾輩は猫である』、私なりの『風の歌を聴け』、私なりの『限りなく透明に近いブルー』……5年ほど前、デビュー作になればと長編小説を書いてみたことがあったが「向いていないことは止めなさい」と言われて、それで諦めてしまったのだった。今の私ならどうだろう。多分私に書けるのはこうした日記でありエッセイであり、粘り強く自分の中の異物と戦い続けてそれを小説にする才能はないとも思う。それならそれでしょうがない。世の中にはバリー・ユアグローみたいなショートショートの天才も存在する。

とはいえ、別に(読者を舐めた言い方であるとも思うけれど)傑作にならなくてもいいので、自分自身の癒やしというかデトックスのために書いてみるのもいいのかもしれないとも思った。「私小説」……ただ、べったり個人的な事柄を書くのも面白くないので妄想や空想を盛り込んで、自分なりに「アホらしい」話に仕上げるのもいいかな、と。藤枝静男笙野頼子、あるいは田中小実昌が書いたような世界。焦ることはない。水村美苗の他の小説を読みながらじっくり自分に書けることは何だろうかと考えてみたいと思う。焦ることはない。川上弘美多和田葉子みたいに自由に自分の想像力の枷を外して、もっと伸び伸びと。