またしつこく英語について書く。私が以前clubhouseで出会った人は、自分の言いたいことを日本語で考えてそこから英語に訳して話している、とおっしゃっていた。私は英語で書いたり話したりする時は原則として英語で考える。これはどうすればできるようになるのか説明が難しい。私見では、英語をたくさん読み書きして英語に脳を慣らすことで、自然と脳が英語を発し始めるようになるのだと思っている。脳はその意味で筋肉と似ているのかもしれない。私の知っている人は「英語で考える体操を日々行うことだ」というようなことを言っておられた。
それにしても、学生時代の私が今の私を見たら腰を抜かすのではないだろうか。留学経験もなければTOEICを受けたこともない自分が、何の根拠もない自信を伴って英語で表現しているのだから。私は日々メモパッドやスマートフォンに英語を入力してパーソナルなメモを取っている。友だちとDiscordやWhatsAppで話す(ある方が私の英語は「エレガント」だと言ってくれた。ありがたいことだ)。日記を英語と日本語で書き、英会話教室で英語を披露する。こうしたことはずっと日々練習して、鍛えてできるようになったことだ。
先述した人の言葉で印象的だったのは、「うまい人に憧れる」「あんな風に喋れたらと思ってしまう」と他人を比較対象として自分にプレッシャーを背負わせているところだった。私は他人と比べたりしない。ここにいる自分は世界一のスピーカーではない(そして、自分が世界一になれる日はいくら勉強しても絶対にこない、と諦めている)。だが、私というスピーカーはここにいるこの私ひとりであり、それゆえにかけがえのない貴重な、絶対的な存在だと思っている。その自分を引き受けて喋ることを肝に銘じている。それが自信があるように見えるのだろう。
今日は断酒会があった。私も参加して話した。「断酒新生」という言葉が印象に残った。酒をただ漫然と断つのではなく、丁寧に日々を生きること。断酒会の顧問の方が、断酒会は「人間成長」の場だと言っておられる。私も、断酒会で日々思うところ、日々の気づきを話すようになってから自分が確かに成長したという手応えを感じるようになった。私の根拠のない自信はこうした手応えから来るのだろうと思う。悲しかった飲んだくれていた日々から、自分は確実に遠くまで歩いてきた。過去の自分と比べて、そうして前進している自分を褒め称える。ナルシスト? それでもいい。ナルシストバンザイ!!