跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/05/04

ジョセフ・ヒース『啓蒙思想2.0』を読む。私は気分が乗らない読書は体質的にできないのだけれど、この本はそんなわがままな私の頭にもすんなり入ってきて極めて刺激的な読書となった。自分自身の高校生の頃を思い出した。私は不遜というか恥知らずにも、高校生の頃大人たちはバカばかりだと信じていた。当時の私は島田雅彦を読みこなす人間で(島田雅彦止まりかよ、というツッコミもありうるだろうが)、それゆえに日本人の閉鎖的な村社会や共同体主義が我慢がならなかった。まあ、よくある話だ。当時Twitterがあったら私はクソリプ野郎になっていただろう。

啓蒙思想2.0』は、そうした理知的な(というか頭でっかちな)人間の過信を諫める書物である。その過信は例えば歴史的には「啓蒙思想1.0」、つまり18世紀に流行った啓蒙思想として結実したわけだが、ジョセフ・ヒースは歴史を参照しむしろその啓蒙思想を諌めたエドマンド・バークから学ぼうとしている。理性の過信、つまり何でも論理的思考や理性で解決できるとする態度は「人間が過ちを犯しうる動物である」というベーシックな事実を忘れた、つまりは何らリアリティを持たないものだ。その事実をジョセフ・ヒースは指摘する。数多くのデータから、人間が理性的ではありえないことを語り尽くす。これは侮れない。この本に関してはおいおい書いていきたい。

時間があったので池上英子『自閉症という知性』という本も読み終えた。本書に登場するのは四人の自閉症(あるいは発達障害者)の当事者である。彼らは定型発達者が感じられない豊かな知覚を持ち、それを彼らなりに表現しようとしている。ある者はセカンドライフという仮想現実の世界で、またある者は漫画で、というように。こうした語り口はともすれば定型発達者と自閉症者の間に溝を作ることに繋がる。「彼らと私たちは違う」というようにだ。もしくは当事者の間でさえ、「彼らのような才能を私は持ってない」と溝を生み出すことに繋がる。極めてデリケートな問題だ。

池上はそんなデリケートな問題を豊かな学識や丁寧な議論で語り尽くそうとしている。自閉症者はその豊かな(あるいは「過剰な」)感受性ゆえに苦しむわけだが、そうした苦しみに寄り添いながら彼らの才能が真に発揮される世界を求める。だからこそ池上英子は自らセカンドライフの世界に入り、あるいは当事者にリアルでアプローチしその可能性を追究する。実に良識的で優れた書物だと思った。この本を読むことで自閉症発達障害への理解は深まるだろうと思う。高価い本でもないので、この日記を読む方に推したいと思う。私自身アホみたいに本を読みあれこれ考える癖を持つ者として、大いに励まされるものとなった。