跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/04/13

ネットフリックスでオリジナル・ドキュメンタリー『アンディ・ウォーホル・ダイアリーズ』を第4話まで観た。アンディ・ウォーホルという人は天才ではなかったのかもしれない、と思う。いや、才人であり器用に傑作を生み出すことができた人ではあっただろうが、奇抜というか奇矯な言動でこちらを驚かせる人ではなくむしろ真摯に自分の芸術を追求する求道者であったように思われるのだ。その求道者としての生き様に肉薄しているという点でこのシリーズは魅せる。だが、さすがに彼の平坦な日記をベースにしているだけあって少し退屈に感じられるのも確かだ。

川本三郎今ひとたびの戦後日本映画』を読む。敢えて愚劣な表現を使うが、「女子供」に寄り添った批評だと思った。つまり弱者に眼差しを向けた分析が施されている、と受け取った。過去の映画に触れ、「女子供」たちがどう戦争によって傷ついたか、その戦禍をどう生き延びたかを綴っている。故に筆致は慈愛を感じさせる。彼のそうした弱者に寄り添う姿勢はもちろん美徳として読めるし、心に傷を残すような強烈さ/どぎつさはないものの侮れないと思わせる(彼はそして、男たちをも「戦禍で傷ついた弱い存在である」と語っているかのようだ)。

今日、鬱状態に苦しんだ。青山真治の日記『宝ヶ池の沈まぬ亀』を読み始めたのだけれど、青山真治ほどの造り手にしてもいずれ死ぬんだなと思ってしまったからでもある(少なくとも私にとって彼の大傑作『ユリイカ』は唯一無二の輝きに満ちている)。私もいずれ死ぬ。何を成し遂げたのだろう、と思って結局一編の詩すら残せていないことに気づく。ああ、何だったんだろうこの人生。是枝裕和の映画で「どこで間違ったんだろう」と登場人物が呟く場面があったことを思い出す。だが、それでも私の人生は続くのだった。なら生きるまでだ。ビートルズ「レット・イット・ビー」の精神で、この身体が生きるままに生きる。

生きるままに……実にはしたない言葉であることを踏まえて言うが実は「このままこの辛さが続くのなら、もう死んでしまいたい」と思うことすらある。人生は無意味で無価値だと思い酒に溺れていた日々を思い出す。かつて、一人ぼっちだった頃のことだ。今は仲間/友だちが居る。なのにこんな罰当たりなことを考えてしまう。未だに「死にたい」という気持ちを自分から切り離せない。こんな時はトム・ウェイツを聴いてしみじみ悲しみに浸るのがいいのだろうと思う。しみじみ……トム・ウェイツルー・リードに倣って、先を急がないで。今生きていることに後ろめたさを感じる必要などないのだ、と自分に言い聞かせて。