跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/03/09

休みだった。午前中イオンに行き、読書に励もうとするもなにも手につかなかった。それで図書館に行き、前々から興味があった永井玲衣『水中の哲学者たち』と片岡義男『短編を七つ、書いた順』を借りた。グループホームに帰り、clubhouseで英語で少しやり取り。午後も読書ははかどらず、またイオンに行きそこでぼんやりしたあとグループホームに帰って『水中の哲学者たち』を少し読んだ。夜は断酒会に行き今日のことを話した。休みの使い方が我ながら下手だと思う。計画を立てて過ごしたほうがいいのだろう。なにか勉強をするのもいいのかもしれない。

永井玲衣の本は予想通り面白い。ふんわりしたタッチの本だが、例えばデカルトやカントといった哲学者たちを闇雲にありがたがらず、徒手空拳で哲学を試みようとする著者の姿が見えてくる。私も永井に倣って「水は形を持っているのだろうか」とか「虹に8番目の色はあるのだろうか」とか、「いつか人類は月を動かすことができるのだろうか」とかそんなことを考えてみた。ただ、こういうことを思いつくだけではなく考え抜かないといけないのだから難しい。その意味で永井の試みは応援していきたいと思う。本を全部読んでから詳しい感想を書きたい。

ひとりでグループホームで過ごしていると気が狂いそうになる。大前提として私たちはコロナ禍にあるので、気楽に会えないし話せない。この制限の中でそれでもひとりでできることを考え、あるいはひとりではできないことを考えないといけない。ひとりでできることと言えば本を読み映画を観ることだ。だが、その読書や映画鑑賞は他人とシェアすることが前提となる。少なくとも私の場合はそうだ。シェアすることで、私の個人的な感想は個人を超えて世界とつながるものとして成立する。世界に対して開かれること。そのようなスタンスが、コロナ禍で難しくなっているのではないか。

「今」にフォーカスすること。過去も未来も、「今」の時点から見たものでありしたがって幻影にすぎないと考えること……今日マウス・オン・マーズの音楽を聴きながらそんなことを考えた。坂口恭平に倣って、テーマや設定に凝るのではなく「今」書きたいと思うことを白紙に対してぶつけてみる。そこから自分なりの小説が生まれてくるのではないか、と思う。永井均野矢茂樹が書いたような「哲学対話」を自分でも書いてみたいと思っている。それがどれだけ読まれるものなのかわからないけれど、書きたいと思う気持ちには忠実でありたいと思った。永井の本にも出てくる「自分以外の人の人生を、私たちは歩むことができない」という発想について書いてみる……なんだかフィル・コリンズの曲のテーマみたいだけど。