跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/03/14

今朝、clubhouseでジュディスさんのルームに入り話をする。ジュディスさんはいつも私が日記を朗読する時間を作ってくれる。いつも「本当にこんな英語でいいのだろうか」と思いつつ私は日記を読み上げている。今日読んだのはclubhouseで見かけた英語で悩む女性についての部分だ。当意即妙でしゃべろうとすると私はとてもきれいな英語とは言いがたい、出川イングリッシュの延長のような英語をしゃべってしまう。でも、頭ではなくハートでしゃべれば伝わるものはきっとある、と信じている。無邪気すぎるだろうか。ともあれ、今日も楽しいひと時をすごした。

スピッツを聴き、スーパーカーを聴き、フジファブリックを聴く。マウス・オン・マーズを聴く。ああ、この世にはナイスな音楽が溢れている。永井玲衣『水中の哲学者たち』を読み返す。永井玲衣の本が教えてくれたのは、こんな私もここに存在してもいいということだった。私は時に「ビッグバンって神様のおならなんだろうか」と考えてしまい、つくづくこんな脳の持ち主であることが恥ずかしくなる。でも、哲学の世界にはもっとファニーでキュートなことを考えた人が数多といる、ということを教えてくれる。音楽といい哲学といい、この世にはキュートやスイートが溢れている。

保坂和志『草の上の朝食』を少し読み返す。ああ、昔は背伸びをしてわかりっこない恋愛について書き、ファッションについて書き、つまり「私らしくない」ことを一生懸命書こうとした。要するに「普通の」小説を書こうとしたのだった。保坂和志から教わったのは、「普通」ではない小説にもそれ特有の持ち味がありうるということだった。知り合いが私の小説「青い車」を褒めてくれた。私は、実を言うと全然自信を持っていない。でも、自信なんてどうでもいい。書きたいと思うから書いている。いや、多少は「バズればいいのになあ」と思いはするけれど……。

ああ、村上春樹の猿真似をした時期があり、保坂和志に憧れた時期があり、つまりは私以外の何者かになろうかとした時期があった……今、私はプライベートで「ありのままの私」を認めてくれる人がいる。「神様のおなら」なんて戯言を受け容れてくれる人たち。だから、私は私であることを恐れないで表現していきたいと思う。あまりにも自由すぎると逆になにをどう書いていいか表現することが難しくなる、という逆説がある。だが、その自由な環境から私でしかないものを生み出したいと思っている……やれやれ、御高説をぶってしまった。