Back To Life

Back To Reality

2022/02/09

今日は休みだった。朝、イオンに行く。特になにかを買いに行くつもりはなかった、というのは前に書いたとおり。イオンで十河進『映画がなければ生きていけない 2007-2009』を読み、そしてフリッパーズ・ギター『カメラ・トーク』を聴きながらひと休みする。「ビッグ・バッド・ビンゴ」という曲の「ひとりきりカレイドスコープ・ワールドで/待つのさ世界の終わり」という箇所にふと動揺する。何度も聴いた曲だったのに、この箇所の虚無感が突き刺さってきたように思ったのだ。「好きなだけ恋の夢を見て勝手にキスして泣いて/さあ僕らのビッグ・バッド・ビンゴに/抜け出せないビッグ・バッド・ビンゴに」。

同じく私が若い頃熱中して聴いていたピチカート・ファイヴの歌詞を連想する。「東京の合唱」という曲の「誰だっていつかは死ぬけど」というパンチの効いた箇所が思い出される。かつて、私はフリッパーズ・ギターピチカート・ファイヴを単に軽薄な流行りモノ/ハイプだと思っていたのだけれど、いざ聴いてみるとこうしたゾッとするほど虚ろな感覚を言葉とメロディで表現していることに驚き、そして共感を抱く。私もまた青春時代(というものがあったとすれば)、何物をも信じられず虚無感に浸っていたからだ。どうせ人間、どうあがいてもいずれ死ぬ、というように……。

若い頃、私はすでに人生に絶望していた。深刻な問題を抱え(当時は発達障害のことをわかっていなかったので)、夢も希望もなくただ死んだふりをして十代を過ごした。前にも書いたかもしれないが、そんな私からすると根源的な生きづらさと厭世主義、そしてそれでもなお生きることが尊いという思想を歌ったバンドは、意外かもしれないがフリッパーズ・ギターでありピチカート・ファイヴだったのだ。優れたアーティストはすべからく厭世主義的であるべき、と私が思うようになったのはこの影響かもしれない。その後村上春樹小津安二郎の厭世主義にどっぷりハマっていったことを思い出す。

今も私は根本的なところで「人生は辛い」と思っている。人生を生きることは不条理に耐えることだ、と。「分かりあえやしないってことだけを分かりあうのさ」とフリッパーズ・ギターも歌っている。そんな不条理を繊細な感受性で表現しシェアした彼らの凄味を、今日改めて思い知ったように思った。そして、十代の頃に愛聴した彼らの曲が時を越えて30年後の今の自分自身にも突き刺さるということは、私は成長したのかしていないのかわからないということだ、とも思い至るのである。いや、成長したのだろうか。わからないが、私の人生に確実にポップな色を塗ったのが彼らの曲であるという事実は揺るがない。それだけは確かだ。