Back To Life

Back To Reality

2022/02/02

今日は休みだった。図書館に行き、予約していた小林信彦日本橋に生まれて 本音を申せば』を借りる。小林信彦の本は今までなぜか読まず嫌いで通ってしまっていた。私が物心ついた時はすでに重鎮の域に達していたから、心理的にやすやすと近寄れなかったのかもしれない。もっとフレッシュな作家の本を読みたかったというのもある。今になって小林の著書『極東セレナーデ』を読んだり映画や読書に関するコラムを読んだりして、改めて唸らされている。『日本橋に生まれて』も、実に「旨い」コラム集だと思った。

その小林信彦は、『人生は五十一から』という著書を書いている。私は今年47歳になるのだけれど、若い頃は47というとどんな年齢なのか全然イメージが湧かなかった。酒に溺れていた頃は40で死ねたら理想と思い、老醜を晒すくらいなら若死にした方がマシだと信じ込んでいたのだった。カート・コバーンの自殺も多分に影響しているかもしれない。小林信彦の文章を読み、このような見巧者としての文章は若くしては書けないものだと唸らされ、日々丁寧に生きることが秘訣なのだろうかと思わされた。私もこのような域に達することができるだろうか、と。

日本橋に生まれて』は、彼が出会った偉大な人々についての記録が綴られ、コロナ禍で揺れた2021年の記録が綴られている。彼なりの「人生のまとめ」ということなのかな……と読んでいて厳粛な気持ちにさせられる。とはいえ、彼はことさらに自分を大きく見せたりせず市井の生活人としてテレビを見て、映画を堪能しそこで得たものについて語ろうとする。彼の語ることをすべて肯定するつもりはないが、この「現役」であろうとするポジティブな(?)態度からは学ばされる。彼の古い本を図書館で借りようかと思った。『夢の砦』を読みたいと思う。

石原慎太郎が亡くなったことで、彼の行いの功罪について議論が喧しくなっている。彼の死を喜ぶ人も散見される。その気持ちは理解できなくもないが、私は人として大事なものを捨ててまで議論に勝ったり他人を制圧したりしようと思わない。溜飲を下げている人に対しては「頑張って下さい!」と言っておく。私からすれば、問題は石原慎太郎という「一個人」ではなく彼をスターダムにのしあげて発言に重みを持たせたメディアや政治の「システム」ではないかと思う。罪を憎んで人を憎まず……と書くと「相対主義」「冷笑主義」と憎まれたり嗤われたりするのだろうか。