司修『Ōe 60年代の青春』を読む。著者は大江健三郎の著書の装幀を手掛けたことで知られる方で、彼自身の60年代の思い出を書きながら同時に彼が読み込んできた大江健三郎の小説(主に『叫び声』『河馬に噛まれる』)について記し、著者自身が目撃してきた連合赤軍のあさま山荘事件などについて記した書物である。平たい筆致でみずみずしく綴られる文章が印象的だ。紛れもなく「60年代の青春」、理想に殉じて革命に身を投じた人々の姿が見えてくる。あさま山荘事件についてはあまり読んだことがなかったので多くを教えられた。
私は大学を卒業したものの、就職先を得ることができなかった。それで、半年ほど今で言うところのニートの期間を過ごすことになる。その間とにかく暇で暇でしょうがなかったので、近所の図書館に通って大江健三郎の小説を読み始めた。もちろん20歳そこそこの若造に大江健三郎の魅力などわかるはずもなかったのだが、初期の大江の作品のフレッシュさに圧倒されたことは甘美な記憶として思い出せる。大江はまずなによりも、優れた感受性を備えたジャーナリストとして私の目に映った。豊かな想像力で、時代が孕む問題をいち早く見抜きそれを小説として記す人。そう私は受け取ったのだった。
その後、岩波文庫から『大江健三郎自薦短篇』という分厚い文庫本が刊行された時も私は買い求め、そして通読した。近年の円熟した落ち着いた大江健三郎の作品に惹かれるものを感じ、侮れないと思ったことを思い出す。大江は常に成長し、前進し続ける作家だと思った。そして今、また大江を読み返そうかと思い始めている。構えずに、ジャズを聴くように大江を読みたい。ある意味で私にとって大江の文学はナンバーガールやブランキーの音楽のような、生々しい妄想によって塗り込められたプロテスト・ソングのように思われるのだった。
ああ、あのニートだった頃のことが懐かしく思い出される。大江を読み、中上健次を読み……当時は引きこもりという言葉も今ほどポピュラーではなかったので、新卒で就職できなかったことに絶望し「もう自分の人生は終わった」と思って酒を呑み始めていたのだった。自分にとっての「青の時代」だったと思う。やること為すこと全然上手くいかず自分の青臭さに腹が立ち、背伸びして通ぶっていた頃のこと……今はそんなことは考えない。やっと私は私らしく居られる環境を見つけられたのだ。酔っ払って毎日泣き暮らして日がな1日Twitterばかりやっていた日々のことを思い出すと、そうするしかなかったとは言え小っ恥ずかしくなる。