跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/01/25

ああ、どうしてなのだろう……どうしても人と違ってしまう。高校生の頃、他のクラスメイトがB'zだドリカムだとメインストリームの音楽に素直に入っていっていた時に、私はそういう音楽が何度聴いても耳に入らないでいた。くだらない、というわけではない。どちらもクオリティはお世辞ではなく相当に高い。海外にだって立派に通用する音楽だと思う。だが、私は全然心の琴線に触れるものを感じなかったのでひとりでフリッパーズ・ギターb-flowerピチカート・ファイヴだ……といった音楽を聴いていたのだった。今で言う渋谷系、というやつだ。

読書にしたってそうだ。当時ベストセラーだったのはなんだったか覚えていないのだけれど、私はそんなあぶくのようなベストセラーを読んでも全然面白いと感じなかった。ベストセラーをコケにするつもりはない(いや、当時の私ならベストセラーを「衆愚」「愚民」の書としてバカにしていたかもしれないが)。だが、私の魂が求めるものはもっとマニアックなものだった。だからひとりでスティーブ・エリクソンポール・オースター金井美恵子高橋源一郎島田雅彦といった作家を読んでいた。懐かしく思い出せる。

どうしてなのだろう……どうしてかはわからない。だが、人と違ってしまう。そして、私は(発達障害故のことなのか、それとも生来の性格だからなのかはわからないが)自分に嘘をついてまで生きることが遂にできない。だから、高校生の頃はひとりぼっちで音楽を聴き本を読んで、死んだふりをして過ごした。そんな日々を思い出せる。東京に思いを馳せ、もっと広い世界を見たいと思った。だから尾崎豊なんて全然理解できなかった。私が歯向かっていたのは管理教育の「支配」ではなく、もっと広く日本人全体に瀰漫している空気だったからだ。

あれから随分時間が経った。私が正しいとかみんなが正しいとか、そういう問題でないことも腑に落ちるようになった。世の中広いんだからスロッビング・グリッスルやナース・ウィズ・ウーンドみたいな音楽で心が騒ぐ人が居たっておかしくない。だが、大げさと叱られるかもしれないが私にとって高校時代はそんな、さながら刑務所や強制収容所のようなストレスフルな経験だったのだった……と書くとお叱りを受けるかもしれない。だが、本当の地獄は日常と切り離されたものではなく、むしろ日常の中にこそ潜んでいると思う。それを見抜くのが知性だ、と。それがあの日々から学んだことだ。