跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/10/06 BGM: The Smiths - The Boy with the Thorn in His Side

今日は遅番だった。朝、イオンに行きそこのフードコートで宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』を読む。この本に関してはぼくが参加している「発達障害を考える会」でも話題になっていたのだけど、ぼくは(恥ずかしながら)ベストセラーと呼ばれる本に関しては二の足を踏む性分なので読まず嫌いで通ってきてしまっていたのだった。だけど、前にFacebookで話題になっていた「不登校の子の増加」というトピックとこの本で語られている現象は関係があると判断し、ならば読まない手はないと思い読み始めた。読み終えたあと唸らされてしまう。この本で語られているのはタイトル通り「非行少年たち」の生きづらさについてなのだけれど(ちなみに「非行少女」についても少し語られている)、極端なことを言えばかつてのぼくのような子の生きづらさまでもフォローするような懐の深さを備えた本であるとも思った。つまり、学校で教師から「問題児」「手を焼く子」として見なされたり周囲からいじめられたりするような子のことだ。そんな子が、もしかしたら知的障害や発達障害を抱えておりまったく違うものの見方・捉え方をしている可能性はないだろうか(難しく言えば「認知の歪み」を抱えていないだろうか)という問題を投げかけてくる、そんな本ではないか?

同じものを見ていても、「非行少年たち」や引いては知的障害・発達障害を持つ子たちはぜんぜん違うように見ている……その可能性を踏まえるなら、そうした見え方の「ずれ」から来る困難をいちばんひしひしと感じている(というか、感じざるをえない)のは当の「非行少年たち」であるはずなのだ。だから彼らに「どうして『普通に』できない」とスパルタ式に説教することは百害あって一利なしとなる。「普通にできない」ことがつらいから彼らの自尊感情はズタズタに傷つき、そしてそのズタズタの自尊感情を持ち続けることに耐えられず非行に走るとも考えられる。まさに悪循環だ……ならばその自尊感情を慰撫し健全な状態に快復させることを試みる必要があろう。ぼく自身の過去のことを思い出してしまった。ぼくも「どうして『普通に』できない」と言われ続け、その言葉に従おうとしてついに「普通に」なれず自分を責め続けたのだった。そしてそれに加えて、知的障害・発達障害の場合衝動が強すぎてそれがたとえば「性的なはけ口を求めてわいせつな行為を重ねる」といった後先省みない行動に走る恐れもある。そうして考えていくと「とにかく厳しく」「厳罰を以て」ではとうてい解決できない問題であることがわかる。

だけど著者の宮口幸治は、「褒めて伸ばす」教育に関しても一定の距離を置く。学校の成績が悪いとか、あるいはたとえば忘れ物が多いとかそうした現実問題でぶつかってしまう壁に関して「褒めて伸ばす」教育で対処することは問題を「解決」させるのではなく、問題を「覆い隠す」ことであると語るのだ(ぼくはそう読んだ)。必要なのはおそらくそうした問題を彼ら自身の問題として引き受けさせ、そして教師たちのような周囲の共同作業で乗り越える経験を積ませることではないか? そのための具体的なプロセスとして「コグトレ」、つまり認知の歪みを直していくカリキュラムが提唱される。読みながらふと、ぼくはぼく自身が40歳を過ぎてから参加するようになったミーティングのことを思い出した。いや、安易すぎる連想かもしれないがぼく自身がいまのようになるに至ったきっかけとしてそうしたミーティングで「自分の問題」(ぼくの場合だと衝動的な買い物や飲酒欲求など)を見つめ、そして周囲との連携によって焦らず乗り越えてきたのだったな、と思ったのだった。そう考えていくとこの本が記す処方箋は極めて誠実かつ現実的な、実に「効く」ものだと思う。この本は侮れない1冊だと唸ってしまった。

そしてぼく自身の過去を思い出してしまったのである。ぼくも過去、たとえば性欲を持て余して悶々とした思春期があり危うく性犯罪を犯すところまで行ったりしたこと。万引きしたいと思ったことだってあるし、それ以外にも衝動に任せて赤っ恥をかいたことならいくらでも思い出せる……そもそも酒に溺れたのも「酒がなければやってられない」という短絡的な、後先省みない考え方に支配されてのことである。ということであるなら、この本は「非行少年たち」を語りながらいまなお学校を卒業しても苦しむ知的障害者発達障害者たちにとって、なお大事なメッセージを放っていると思った。そして、こうした本が刊行されて読まれていることが確実にいまの常識を塗り替えているのかもしれないな、と。反社会的と見なされ、そして場合によっては「狂人」「サイコパス」「理解不能」とレッテルを貼られる子たち(かつての「酒鬼薔薇聖斗」事件の犯人などがそうだろう)が持っているかもしれない生きづらさに思いを馳せてしまう。この本の内容にまったく異論がないわけではないのだけれど、それでも確かな「人の底力を感じさせてくれる本」として貴重だと思った(書けるようならこの本に関して持ったアイデアをまた別のかたちで書くかもしれない)。