跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/12/19

BGM: Aztec Camera "Walk Out To Winter"

ついに小説"Dead Can Dance"を書くことにした。たまたま今日遭遇した、神田沙也加の死について書いてみた。彼女の死は不自然であり、それ故に自殺であるとの説も出ている。もちろん、私に真相などわかるわけがない。だが、仮に自死だとするなら私自身思いつめた頃のことが蘇り、それ故に辛くなる。だからこそ、こうしたニュースに触れてもなるべく騒がず、静かに死者を悼むことが大事なのだと思っている。たまたま坂口安吾「不良少年とキリスト」を読んだので、そのことについても小説の中に書いてみた。"Dead Can Dance"は英語で書いているので、余力があれば日本語訳もしたいところなのだけれどなかなか難しい。

今日は発達障害を考えるミーティングの日だった。今日は都合によりオンラインでの集いだったのだけれど、ワイワイ話す。金銭管理をどうしたらいいか、あるいは片付けをどうしたらいいか。私の職場での問題や、宍粟市でのジョブコーチをめぐる動きについても話すことができた。たまたま今日知った神田沙也加の死についても話す。どう心の中にある問題を整理し、SOSを出すか。私の場合は結局こうして友だちと会って話すことや、あるいは小説という形で外に出すことが心の平穏を保つきっかけとなっているらしい。書くことはこれからも続けるだろう。

神田沙也加の死がどうとかではなく一般論として書くのだが、セレブリティの死は人に大きな衝撃をもたらす。私自身、必ずしも全ての著書を読んだわけではないが尊敬していた作家の車谷長吉の訃報を姫路の書店で知った時に、気力が抜けてしまうようなショックを感じたことを思い出す。ましてや自死である。多くの人が同じようなショックを感じていることは想像に難くない。ソーシャルメディアが図らずもそうした繊細な心理を痛めつけている可能性について思いを馳せる。もちろん、ソーシャルメディアの恩恵に預かっていながらこんなことを書いているのだけれど。

自殺ということでいえば、私は坂口恭平『苦しい時は電話して』という本を今年読んだことを思い出す。あの本と出会ったことは今年の楽しい思い出のひとつだった。坂口恭平に倣って私も思いつめた時に、その自分の心理を見つめて散文に起こすことを始めたのだった。今日書き始めた"Dead Can Dance"もそうした、苦しさを外に出す試みのひとつだ。それはきっと大多数の人からは無視されるだろうし、それはしょうがない。本当に私の文章を必要としている少数の人に届いたなら、それでもう充分ではないかと思う。さて、どんな小説になるのだろう。