跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/12/17

BGM: Kenny Loggins "Footloose"

私は今年で46歳になるのだけれど、情けない話だけど未だに自分が年相応の成熟を遂げたという感じがしない。それどころか、年を重ねれば重ねるほど自分は子どもに戻っているように感じることもある。前々から書いていることなのだけれど、エッチなことを考えたり益体もない妄想に浸ったり、未だに上司から叱られることにビクビクしたり、といったことだ。明石家さんまが『ヤングタウン』や『明石家電視台』で「こんな40すぎ初めてや」と他人を揶揄し、年を重ねることの美学を開陳していたことを思い出す。私はいつ大人になれるのだろうか。

30代の頃、私は自分のことを境界性パーソナリティ障害だと思っていた。平たく言うと「構ってちゃん」である。人の気を引くために「死んでやる」と騒いで、心配をかけて……この激しすぎる感情や孤独感から随分人を引きずり回した記憶がある。当時も「なぜ生きなければならないのですか」と問い、他のメーリングリストのメンバーに迷惑をかけた。その頃から比べれば少しは前進したのだろうか。私の考え方は少しは変わったのだろうか。そうであればいいな、と思う。転石苔を生ぜず。なにもかも、移ろいゆくものだ……。

私はもしかしたら、この頭に頼りすぎなのかもしれない。この小さな頭で世界を把握しようとしすぎて、把握しきれないもの、あまりにも大きなものがこの世にあるということを忘れてしまう。目に見えないもの、理屈で捉えきれないものを信じなければならない。アインシュタインは「私たちの生き方には二通りしかない。奇跡など全く起こらないかのように生きるか、すべてが奇跡であるかのように生きるかである」と言ったそうだ。私はこの考え方が好きだ。私にとってはこの世界がそのまま「存在する」ということ、それ自体が神秘である。

今年ももうすぐ終わる。ああ、今年もなんと意義深い年だったことか。clubhouseを始めてジュディスと会えたこと、この日記を書き始めたこと、等など……今年の読書を振り返れば、clubhouseを始めたことで英語をもっと勉強したくなって片岡義男の『日本語の外へ』を読んだのだった。去年から始めた英語でメモを書く試みも続いている。これからどこまで進歩できるかわからないけれど、英語で表現することは続けるだろうと思う。今日、ひとり私に友だちリクエストを送ってくれた人が居た。全く、こんなどうしようもない、ダメ人間の私だというのに。