跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/10/22

図書館で出久根達郎漱石先生の手紙』という本を借りた。そのタイトルの通り、夏目漱石の書簡を紹介した本である。読みながら、手紙とはいいものだなと思った。出久根達郎は「手紙を書くことで、人は誰でも良き教師になれる」と書いている。面白い指摘だ。思い出してみれば、私も色々な書簡集を読んでその書き手から色んなことを学ぼうとした。カフカが恋人ミレナに宛てた書簡を読み、ヘッセが書いた書簡集を読み、若き詩人に宛てたリルケの手紙を読んだりしたことを思い出した。まるで自分に向けて書かれたかのような手紙を読んで、何事かについて学んだのだった。

平出隆葉書でドナルド・エヴァンズに』を読み進める。平出隆の散文を読むようになったのはいつからだろうか。私は彼の散文の硬質さと繊細さを思う。ちょうど、ヴァルター・ベンヤミンが書いた散文のように、軽薄にならずそれでいてこちらにも優しく語りかけてくれるような、そんな冷たいようで温かい感触を感じるのだ。平出隆の本は『鳥を探しに』『猫の客』も面白かった。彼のように書きたい、と思う反面、彼の猿真似になってもつまらないと思う。だが、私のオリジナルな文章はどうやったら生まれるだろうか。

朝、「どうやって本を選んでいるのですか?」とclubhouseで質問をされた。これについては答えるのが難しい。Twitterで友だちが薦めているのを読んで、あるいは図書館の棚を見て……勘が語りかけるままに本を読んでいる。狩り/ハンティングに似ている。目の前に現れた本当に私にとって大事な本を狩り、読んでそこに書かれている事柄から私にとって大事なことを読み取る。それは狙ってできるものではない。釣りや狩りが天候や体調など様々な要因に左右されるように、偶然に左右されつつ私は自分にとって大事な本を探す。

今日も仕事前、仕事にならなかったらどうしようとか色々考え込んでしまった。結局仕事に入ればなんとかなったのだけれど、私は改めてなにもわかっていないなと思った。発達障害者の私を取り巻くこの世界は謎ばかりだ。私がなぜ仕事ができるのかもわからないし、私がしている仕事がなぜ認められているのかもわからない。自分の外側を取り巻いている現象についても、自分の内側にあるこの思念についても、結局なにひとつわかっていない。なぜこんな考えが湧いて出てくるのか。それがなぜ外に伝わるのか。ウィトゲンシュタインの向こうを張って考えてしまう。