跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/10/19

エリック・ホッファー『波止場日記』の読書が終わった。この本は日記なので、ひとつの考えを深く掘り下げて論じられると言うよりもその日その日に生まれたアイデアを書き留めた1冊として読める。だからホッファーという人がどんな思索を展開させたかは他の本を読むしかない。近所の図書館には彼のアフォリズム集と自伝がある。どちらも既に読んだのだけれど、実にユニークな人生を送り思索を重ねた人だと思った。働くことや読むことがそのまま彼の哲学に直結し、人生の「達人」として在るように感じられた。憧れてしまうし、真似をしてしまうかもしれない。

片岡義男『珈琲が呼ぶ』を読み終える。「庶民派」という言葉が浮かんだ。片岡はエスタブリッシュメント/権威の側に立たない。日本における英語の誤用や氾濫について語る時も、音楽や映画について語る時も彼の視線は市井の一個人の視点として据えられている。だから彼の書くものはいつもフレッシュで、大御所や「御大」然としたところがない。彼の書いたものを私が英訳するのはどうだろう、と思った。『日本語と英語』に収められているようなメモランダムな断片を英訳してみる。もちろん著作権をクリアしないといけないが、面白そうだ。

一日に2冊本を読むとそれ以上は流石に入らなくなる。夏目漱石の『明暗』を読もうかと思い手に取ったが読めず、時間をダラダラと浪費してしまった。アウトプットの手段を考えないといけない。昔は愚痴や不平不満を言うことを時間の無駄だと考えていたのだけれど、そうして思いをアウトプットすることは生産性を高める機会ではないかと思った。男は泣き言を言うな、という雰囲気は私には馴染めない。そういうことを言っている人は当然愚痴の見本市のような「飲みニケーション」を否定しているのだろう、と思うのだけど。

久しぶりに本屋に行き、ジョセフ・ヒースとアンドルー・ポターの共著『反逆の神話』の文庫版が並んでいたので買ってしまう。いつも私はネットで本を頼む。欲しい本が簡単に手に入る簡便さ故なのだけれど、こうしてリアル書店でたまに本を買うのもいいものだ。昔はバカみたいに本を買い込み、読めずに「積読」を重ねたものだが今は欲望が薄れたのか、図書館で借りれば充分だと思うようになった。読むものが図書館にも置かれているような古典ばかりになってしまったことも一因かもしれない。今は漱石を読みたいと思っている。漱石の哲学的な思索に触れたい。