跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/10/18

朝、clubhouseで「あなたは月に何冊本を読んでいるんですか」と訊かれた。自分の読書について語るのは恥ずかしい。私は決して勤勉な読書家ではないからだ。ストイックに勉強のために読むのではなく、暇をつぶすために読んでいるというのが正直なところで、しかも手当り次第に読むので私の頭の中はいつも色んな概念でとっちらかっている。ところで、私は計算してみるとこの5年間で1000冊本を読んだらしい。もちろんたくさん読めばいいというものではないことはわかっている。私らしい、実にせっかちな読書をしたものだと思っている。

エリック・ホッファー『波止場日記』という本を読み返している。エリック・ホッファーという人は肉体労働をしながら思索を重ね、アカデミックな教育とは無縁でありながら独自の境地に至った人で、恥ずかしながら私がモデルとしている人のひとりでもある。かつて私は、成功することが全てだと思っていた。金を得ること、名声を得ること……いや、今もそういう気持ちはあることは認めたい。そこまで私は達観できていない。だが、エリック・ホッファーのようにどんな状況でも考えることを止めずに生き続ける、その生き方を貫けたらそれもまた成功者の人生ではないかと考えた。

「なぜこんな人生を生きなければならないんだろう」「なぜ私の人生はこんなに惨めなのだろう」と考えたことを思い出す。就職で躓き、入った会社で金銭的にも心理的にも苦しみ、プライベートは酒に溺れて……だが、私はいつの頃からか「それもまた人生」と思うようになった。このような自分に生まれついたことも、このような状況が与えられたことも。輝かしい人生ではない。だが、私にしか生きられない人生、私のために与えられた状況でもある。私ができることは、蚕が糸を紡ぐように日記を書き考察を重ね、仕事をしてクリエイティブになにかを生み出すことだ。

『波止場日記』にも飽きると村上春樹の短編を読み散らかしたり、片岡義男『珈琲が呼ぶ』を読んだりして過ごした。エリック・ホッファー村上春樹片岡義男三者の共通点は、アカデミックなものや既存の権威によらずに自分の身体感覚で物事を捉えて、考え続けていることだろうか。私も物事を考える時は、「それが私にしっくりくるか」という視点/観点から考えている。故に私の考え方は直感がまず先にあり、理屈はあとから来る。私はその意味でとても気まぐれな考え方をしているのかもしれないと思う。