跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/09/12

昨日に続き、小西康陽『わたくしのビートルズ』を少し読んだ。ビートルズ「イエスタデイ」の魅力について語られているところが印象に残る。私もこの曲はあまりビートルズの中で好きな曲ではなかったのだけれど、この年齢になってくると「昨日」の後悔を綴ったこの曲の甘美さと物悲しさに共感を抱くようになった。私は今まで生きてきた自分の人生に特に後悔するところはないのだけれど、それは幸せなことだったのかどうか。一度くらいなにか大きなことに挑戦して、失敗をする。そんな「傷」のある人生もまた味わい深いと思うのだ。

図書館に行き、『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』などの作品を借りる。凝り性なのかどうかわからないけれど、フィッツジェラルドを集中的に読むことになりそうだ。今まで読んだことがない作家だったので読むのが楽しみ。『グレート・ギャツビー』ももちろん読みたい。フィッツジェラルドもある意味では人生に失敗し、その失敗と向き合った作家だった。私はどうしても弱い人、失敗した人を応援したくなる。私自身の人生もそんな敗残者の人生であり、そこから立ち上がった人生なのかなと思うのだった。

パティ・ジェンキンスワンダーウーマン1984』を観る。前作『ワンダーウーマン』が酷い出来だったのでそんなに期待していなかったのだけれど、観ていて面白いと思った。自分を偽って、もしくは自分ではない人間になりたくて欲望や願いを自分の中にくすぶらせることの愚かさを描いているように思った。私もかつては「自分ではない人間」になりたくてしょうがなかったことを思い出す。今はなにはともあれ自分を受け容れないとなにもできないと思うので、この小太りで野太い声を持つ自分を受け容れているつもりなのだった。

自分を受け容れず、自分ではない人間になりたいと願うこと……それが夢を持つと言われていることなのだとしたら、私は夢なんてなくてもいいかな、とも思う。今の自分の延長上にしかない目標や未来を見据えて、それに向かって生きたいと思う。私も、自分のイケてなさというかみっともなさに批判的で、作家になれたら華やかな人生を送れるかなと思っていた。今はそうは思わない。自分が自分である限り、このみっともない自分はくっついてくる。なら、それを受け容れて愛して生きるだけだ。そう思った。そして、それが私の人生の最大の課題のひとつなのかな、と。