跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/01/19

今日は忙しい日だった。オフだったのだけれど朝図書館に行き、内田百閒の評伝『百間、まだ死なざるや』などを借りる。そしてそれを少し読む。内田百閒は好きな作家だ。大学生の頃、つまりハタチ頃に岩波文庫の『冥途・旅順入城式』『東京日記』を手に取り読んでハマって以来、随筆や日記なども含めて読むようになった。恐ろしい幻想小説ととぼけた随筆の魅力にしびれて、特に小説の方を愛読し自分もこういうものを書けるようになりたいと思った。猿真似もずいぶんしたことを思い出す。また小説を読み返そうか。

昼から断酒会の昼例会に出席する。そして、その後西光寺で行われたミーティングに参加する。自己紹介を済ませたあといきなり私の話をしなくてはならず、あれこれ考えながら日々思っていることを話した。東大前で刺傷事件を起こした青年について、そしてその青年が抱えていただろうプレッシャーや、私自身が考える幸せとはなにかについて。人が決めた幸せに左右されることなく、自分自身が幸せだと思うことを追求するほうが結局幸せになれるのではないか、というようなことを話す。その後闊達なやり取りが行われた。

私は普段この日記に書いていることをそのまま喋っただけなのだけれど、人からは「わかりやすい話だった」と言われた。特に努力してわかりやすく喋ろうとは思っていなかったので、自分ではどこがどう成長しているのかさっぱりわかっていない。英語で日記を書いていることも関係しているのだろうか。他の方からも、私のようなロスジェネ特有の価値観などが飛び出し、有意義なやり取りになったと思う。だが、会の中のことは外にシェアしてはいけない決まりになっているのでこれ以上書くことは控えたいと思う。

夜、断酒会の夜の例会に参加する。そしてそこでも刺傷事件の話をする。私自身、早稲田まで行ったことが空疎なプライドを生み出して、仕事を舐めていたかもしれないと反省した。今は自分の仕事を愛することができているし、等身大の自分を受け容れられる。だが、ひとりでこういう受容ができるようになったわけではない。仲間と出会い、彼らの前で私自身いろんな恥を晒し、それを受け容れてもらえて、安心・安全に生きられるようになったからだ。その幸せを大事にしたいと思った。カネが問題ではない。安心こそが大事だ。