跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/09/04

今日は早番だった。仕事前、自分のことを考える。どこか満たされない思いを抱えていることを自覚する。でも、ならばどうなれば満たされるのかわからない。どうなりたいのか。仕事に入ったらいつものことで忘れられたのだけれど……小津安二郎の映画のことを思い出す。小津の映画でも登場人物は「欲を言えばキリがないよ」と語り、今を受け容れようとしていたのだった。今、この状態こそが幸せである、と……ある意味では、そんな風にぼんやりとした虚無を抱えてそれで事足りている状態こそが確かに幸せなのかもしれない。明日食うものに困るという大問題を抱えているわけでもないのだから。

私ももうすぐ50代に差し掛かる。たまたま見かけたブログで、50代をどう生きるかという問題が語られているのを読んだ。私はこれからも自分のライフスタイルを崩さないで生きるのだろうと思う。本を読み、映画を観て音楽を聴く。確かに、私が子どもの頃に思い描いていた大人の像とはかけ離れている。頑張ったって家一軒買えやしない。家庭も持たず、会社でも偉いポストに就いているわけでもない……だが、それもまた人生ではないだろうか。森敦のように、会社勤めと放浪を繰り返した末に作家として大成した人も居る。そんなデタラメを生きられるのが人生の面白いところだ、と。そう考えてみれば私もまたデタラメな人生を生きているわけだけど。

村上春樹ノルウェイの森』下巻を読み終える。端正な筆致で綴られた、哀しみに満ちた恋愛小説だと思う。10代の私にとって、例えば直子が暮らしていたようなサナトリウムで――外界と隔離された形で――暮らすのが理想だったことを思い出す。だが、直子も、彼女の側に居たレイコもいずれはそこをなんらかの形で出ていく。彼女たちをして成長させた主人公も成長する。人は同じところに留まり続けているわけにはいかない。成長しなければならないし、事実成長する動物でもある。そんなことを教えてくれる小説だと思った。

マイク・ミルズ人生はビギナーズ』という映画を観る。この監督の『20センチュリー・ウーマン』が面白かったので、興味を持ったのだった。ウディ・アレンを思わせる洒脱な映画だと思った。独特の「軽さ」がある。その「軽さ」、深刻な内容をコミカル/ユーモラスに語るそのテクニックに興味を抱いた。むろん、軽く語ろうとすればするほど物事の本質的な「重さ」は引き立つ。それこそ例えば小津安二郎の映画のように。あるいは、村上春樹が書いた『風の歌を聴け』のような小説もその「軽さ」と「重さ」が共存する作品のように受け取っている。ミラン・クンデラ『存在の耐えられない軽さ』という作品のことを思い出した(実は読んだことがないのです!)。