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是枝裕和『海街diary』

是枝裕和海街diary』を観る。少し前に日野啓三のエッセイ的な小説を読んでいた時に、人間が(人類が、と書くべきか?)初めて「死」という概念を自覚したのはどの段階で、そしてそれを言葉に表現しようとしたのがどの段階だったからかハードに考察しているくだりにぶつかったことがある(昔読んだので、不正確な記憶に基づいて書いていることを断っておく)。そうか、「死」という概念が理解できるということは高等な動物の証なのかなと思ったのだが、もちろんボンクラな私にこの難問/アポリアの答えなどわかるわけもなく、文字通り言葉を失って読み耽ってしまったのだった。


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吉田秋生による漫画作品を映画化したこの作品で(例によって私は原作を読んでいないのだが)、監督の是枝裕和はかなりシビアにそうした「死」について考えようとしている印象を受ける。四人姉妹の長女・幸がターミナルケアに触れる看護師であること、あるいはこの映画で時折葬儀の場面が挿入されること、重要な人物が闘病中であることを告白しそして亡くなること、等などが傍証となるだろう。そして、「死」が私たちの人生の儚さと、その中でも精一杯生きようとする私たちのあり方の美しさを照射しているように感じられる(このあり方を「現存在」と呼ぶのか? いやハイデガーなんてわかるわけもないのだが……)。

この映画は多才な切り口から語ることができそうだ。上述した「死」をめぐる倫理やクオリティ・オブ・ライフの問題を語ることもできる。あるいは単純に冒頭の次女・佳乃の脚を舐めるように撮るカメラワークの美しさから、この映画が光に満ちていることについて語り、映画の映像の美しさを堪能することもできる(とりわけ、浜辺の場面。陽光は寄せては返す波に満ちた海面を照らし、太陽が砕け散ったかのような光景が表現されている)。梅酒や花火に代表されるような日本の四季を封じ込めた花鳥風月の国ならではの映画としてその風物を堪能するのももちろん悪くない。

だが、私は実はこの映画を今回再見して、四女である浅野すずの心の傷について考えさせられてしまった。幸と佳乃そして三女の千佳に対して、すずは最初はなかなか打ち解けることができない。彼女たちは腹違いの姉妹であり、かつすずは自分の実の母をくも膜下出血で幼い頃に亡くしているという複雑な家庭事情がある。すずは、自分が居るだけで傷つく人が居る、という幼い身には早すぎる(なにせまだ15歳なのだ)自罰的な思考を抱えている。自分はここにいていいのだろうか……それは無償の愛情を親兄弟から得られなかったすずに巣食った一種の病にも似た思考である。

しかし、すずはそんな思考を吹っ切ろうとする。それはもちろんすずの姉となる幸・佳乃・千佳3人の力あってのことである。だが、その幸や他の2人とて最初から「しっかり」していたわけではない。複雑な家庭事情の中で、自分が「しっかり」しなければ……とプレッシャーを背負っていたのだった。3人は仲がいいのか悪いのかわからないところがあるが、彼女たちに相当な試練が課せられたことは察するに余りある。その3人がそれぞれ見せる独特の味わい深いキャラクターと、仕事や恋に対して見せる独自の哲学もまた印象深いものであると思った。これは優れた作品だ、と思ったのだ。

最初に観た時、私は川端康成の小説を連想した。いや、そんなに川端を読み込んだわけではないが、ジャパネスクというか四季折々の美しさをごく自然に織り込んだそのストーリーテリングの巧さに、川端と似たものを感じたのだ。だが、今回の鑑賞で思ったのはやはり是枝裕和小津安二郎と似た体質を備えているということだった。小津『東京物語』や『小早川家の秋』にも似た死生観にそれを強く感じたのだ(とりわけ、生きている私たちを励ますような生の肯定)。それでいて、現代社会の衰えた部分もきちんと照らしている。それによってこの映画は侮れない生々しい強度を獲得している。