跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/09/01

実家で一泊してまたグループホームに戻ってきた。梶村啓二『「東京物語」と小津安二郎』を読み返す。小津安二郎を語る際、著者の梶村は真摯に自分の死生観や人生観を語る。小津の映画ももちろん面白いのだが、この真摯さも面白い。私も小津の『東京物語』について考える際、私自身がこれまでの人生で体得した「幸せとはなにか」「人生で大事なものはなにか」を考えさせられる。むろん黒澤や成瀬にしたってそういう力はあるのだが、小津の映画は高みからこちらを見下ろす類のものではないために私たちも構えを解いてしまう。それが小津の力なのだろう。

松永大司『ハナレイ・ベイ』という映画を観る。村上春樹の作品の映画化で、改めて春樹の作品を映画化する難しさと楽しさについて考えさせられる。この映画自体はウェルメイドで(だから「大傑作!」というわけでもないのだが)、人のわからなさやこちらを畏怖させる自然の巨大さが現れていたと思う。村上春樹を読むことは、遂にわからないものに触れて沈黙することではないかと(ウィトゲンシュタインっぽく)思う。この映画でも水難事故に遭ったサーファーの息子をわかろうとしてわからない部分に触れて落涙するシングルマザーの悲しみがよく現れていた。

十河進『映画がなければ生きていけない 2016-2018』を読み終える。40代の終わりにこのコラムを書き始めた著者ももう還暦を過ぎた(つまり、20年書き続けたわけだ)。今回の単行本ではそんな著者が猫を愛し、ジャズやハードボイルド小説を愛し映画を愛し、そして否応なしに訪れる死を考える真摯な姿勢が見えてくる。この姿勢に惹かれて私も十河進というコラムニストを読み続けてきたのだった。分厚い本なのだけれど、飽きさせない筆致に導かれて2日で読んでしまった。私もこんな文章を書けるものだろうか、と考えた。

リモートで断酒会が行われたので参加する。コロナ禍ももう2年か……今年はもちろんだが、来年もコロナで苦しむのだろうか。ああ、かつて私は「コロナはインフルエンザに比べれば大したことがない」、という風説を信じていた。もっとクールになろうよ、と嘯いて……ただ、英語でチャットをしている相手がコロナ禍について色々情報を送ってくれたので、その風説を大っぴらに語ることもしなかったのだった。もし日本語だけで考えていたら私は、やはり限られた情報だけで反ワクチンを語る人間になっていただろう。英語が(それなりに、ではあれ)できたことをよかったと思った。