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マジッド・マジディ『少女の髪どめ』

マジッド・マジディ『少女の髪どめ』を観る。実にほろ苦いラブコメだと思った。ベタと言えばベタな「男装して男社会で頑張る女性」及び「その女性に惚れる男」を描いた話なのだけれど、そこにアフガニスタンやイランの移民や労働者たちが抱えている問題を盛り込むことで政治的矛盾を射抜くことにも成功している。つまり、恋愛ドラマとしてもなかなかだし同時に社会派のドラマとしても観ることができるという、一粒で二度美味しい(?)映画となっているように思われたのだ。このマジッド・マジディという監督、前に観た『運動靴と赤い金魚』もそうだがなかなか食わせ者らしい。

とはいえ、この映画を観るにあたって別段ローカルな中東の政治情勢などを知っておく必要はないとも思う。とりあえず(日本でも散見される光景だが)国に溶け込めない移民や難民は大変だね、という程度の認識でもいいと。この映画が広く国際的に受け容れられるということはそうして、問題がイランやその他中東の地域だけに留まらず世界規模で問題となっているという証左でもあるだろう。日本でもノマドワーカーやフリーターのような定住せず低賃金で、かつ不安定な雇用状況で働く人たちの問題は前面にせり出してきている。だからこそ、この映画は私たちの写し絵でもある、といえる。

とまあいつもながら堅苦しく書いてしまったが、この映画はコミカルでホットだ。男社会の中で揉まれて働く主人公は、その粗野さ故に女性と縁のない人生を送ってきたかのように見える。だから冒頭のカップルのやり取りの仲睦まじさと主人公の孤独な佇まいが好対照を成しており、男装するヒロインとの出会いと彼がヒロインの秘密(つまり男装している事実)を知ること、そこから手のひらを返すようにしてヒロインを守ろうと奮闘することの可笑しみが生きてくる。このあたりの運ばせ方、実に見事。マジッド・マジディはキアロスタミと並ぶ人生の達人ではないだろうか。

冒頭に書いたことを引き伸ばすようなことしか書けないのだけど、そうしたギミックの効いた展開がもたらす古典的な喜劇としての可笑しみがしかしいつしかヒロインとその父親の不憫さをめぐる人情噺へと発展していくところも見逃せない。そこでキモとなってくるのは金の話題だ。主人公はなんとか金策に走りヒロインと父親を助けようとする。遂には、命綱とさえ言えるものを売り渡してしまう。そこまで献身的に振舞う主人公に、私たちもつい「頑張れ!」と感情移入させられる。このあたりの私たちの感情の動かし方も監督はかなり計算している。いや、見事だ。

同時にそれは、主人公がそれまで見ることのなかった(あるいは、見ていても視野に入っていなかった)移民や難民のリアルを知ることで人間的に成長するプロセスでもあるのだろうと思う。私たちもまた、この映画を見ることで成長する。その成長物語が健やかに描かれていることも好感が持てる。それは『運動靴と赤い金魚』でも変わっていなかったことだった。この監督、引き出しは少ないのかもしれない(この映画でも金魚が出てくるのも、前作を意識していないかのような天然さを思わせる)。でも、その少ない引き出しで器用にストーリーを編んでみせるところが面白い。

人生の達人、と大げさなことを書いてしまった。いや、この古典的な喜劇センスとペーソスは私には小津あたりまで想起させるような才能に見えてしまうのである。まあ、私の眼鏡はかなり歪んでいるのでアテにされても困るのだけれど、キアロスタミと並ぶセンスの持ち主であることは確かではないかと言いたくなる。政治を描き、無常な現実を描く。でも、その無常に触れたことで人は逆説的に前へ進む。そんな諦観を込めたエンディングが胸を打つ映画だと思った。マジッド・マジディ、これはもっと新作をチェックしてもいい逸材ではないかと思う。この映画は結構昔のものだが、引き出しの数は増えたのだろうか?