単純な生活

Life goes on brah!

2025/02/08 BGM: Donald Fagen - New Frontier

今日は早番だった。今朝、起きてみたらやはりというかなんというか寒波の影響でうっすら雪が積もり、外は一面の銀世界。感動と同時に、徒歩で職場まで通うことが確定となりさっそく気が重くなる。とはいえもちろんサボるわけにもいかない。まあ、そういうこともあるのだった。シャワーを浴びて服を洗濯機で洗濯し、その後朝食を摂った後に英会話関係のZoomミーティングに出席して気分を晴らす。今日の日替わりテーマはMacのパソコンやiPadiPhoneといったアップルの製品がどうぼくたちの生活に浸透しており、ゆえにアップル社がどう業績を伸ばしているかといった話だった。ひるがえって日本でいま世界的に躍進している企業はあるだろうかという話になり、俗に言うITというかテクノロジーの分野のことはトーシロのぼくにはさっぱりわからなかったけれど、ではコンテンツというか文化産業においてはどうだろうとかあれこれ考える。いや、産業の規模じゃなくて先進的なコンテンツ(作品群)を発表しつづけているグループや個人がどれだけいるかといった、たぶんに「搦め手(?)」というか「詭弁」めいた論の進め方になるのだけれどそれでも日本のアニメや漫画やおなじみの村上春樹を先陣とした文学はどうかなあ、とかなんとか。そんなことを英語で話し合った。

その後徒歩でとぼとぼと出勤して、午前10時から仕事をはじめる。正午に電話がかかってきた。英語研究会でお世話になっている先輩の会員の方からで、この雪のため明日の英語研究会の会合が中止になったという知らせだった。来月、晴れて仕切り直しとして『ハリー・ポッター』を輪読する予定になったとのこと。ということは一ヶ月余裕ができたことになるので、読めるようなら日本語版を(そして、なかなかおもしろい小説ということもわかったのでここはいっちょ欲張って英語版も図書館かどこかで)手に入れて読むのもいいのかなあとも思ったりした。その後昼弁当に舌鼓を打ち、そしてふとスマートフォンを見たところLINEのぼくが参加しているオープンチャットのグループにてある方がおもしろい質問をされていた。もし眼前に日本語が堪能な外国人(それこそ『源氏物語』をかるがる読みこなすレベルの相手)が現れたとしたらあなたはその人を「日本人」として許容できるかどうか、というのがその骨子だった。

ぼくもそれで、ついつい乗っかってしまい答えてこんなことを書いた。ぼくは政治的・実際的にそういう人たちがどう「移民」として受け容れられるのかわからない。でも、少なくとも文化的にはそうした外国人をカジュアルに(気軽に)というか広くというか、心をオープンに保って歓迎・歓待したいしこの日本文化というテリトリーにも迎え入れたいと思う。というのはぼくに誰かが文化的に日本人の資格を有しているとかいないとか言える権限がありうるとはこれっぽっちも思えないからである。いや、とぼけるというかカマトトぶるわけではなくほんとうに「日本人としての資格? なんのこっちゃ」なのである(たとえば島崎藤村を読みこなすアメリカ人が現れたらその人はぼくより日本人らしいのか? それは誰が決めることだ?)。そして、仮にぼくにそういう権限がありうる(自在に・恣意的に誰かを「日本人か否か」とジャッジしてもいい)という話になったとしても、ぼくとしてはこんなことも言いたい。というのは、日本文化というのはそうしたぼくならぼくの既成概念というか「この人は日本人だ」「この人は同族だ」といったぼくの安寧な偏見による決めつけをくつがえし、あまつさえ日本文化を活性化さえする「他者」「アウトサイダー」によっても発展してきたのだと思うのだ。たとえば、いまパッと思いつくところとしては多和田葉子がそうしたチャーミングな執筆活動を行いつづけている畏怖すべき「他者性」を備えた書き手として思い浮かぶ。いや、老若男女問わず、日本国内外問わず、もっとたくさんいるにちがいない。

ただしこのことについて考えるならば、さっき書いたことをなぞるがぼくがそうした議論(思考実験?)に乗っかる前に、そもそもぼくが無意識のうちにどんなポジションに乗っかっているのか考えておきたいとも思ってしまうのだ。というのはぼくは公明正大な神様なんかではありえないからだ。ぼくは女性を愛する異性愛者のニッポン人のオトコで、自閉症者でもあってゆえにここから敷衍というか導き出せることがらとして「日本語話者」であり、「(それなりの)助平心を持つ」「(ことによると)差別心さえ持つ」、つまりはそれだけ「偏見」を持つ存在だということがわかる。ゆえに、そうした「他者」「アウトサイダー」をフェアに評価できるかどうかまったく自信がない。そうした「偏見」ゆえにそうした才能たちを「嫌悪」「ヘイト」するかもしれないし、その裏返しとしてまったくありがたがって「絶賛」「屈従」さえするかもしれない。具体的に言うならばぼくは黄色い肌や黒髪・黒目を持つアジア人だ。そこから、もちろんものすごく言いにくいことだけれどでも正直な実感として、もっぱらぼくの価値観がアップデートされていないがために欧米の価値観というか、もっと言ってしまうならば白人至上主義(白い肌・金髪碧眼)の価値観をありがたがってしまう可能性もありうるのかなあ、とも思う。谷崎潤一郎チックだが……いや、これ以上はもっと考えをコトコト煮詰めないといたずらに物議を醸すだけなのでやめておきたい。なんでこんな難儀きわまりない話をしてしまったのか。雪のせいにしてもいいだろうか。

そんなこんなで仕事を終え、また徒歩でグループホームに戻る。そこで夕食をいただき、その後はさすがにぐったりしてしまった。というのは今日だけでそれこそ11,000歩も歩いたからである。50歳にはさすがにきつい。くたくたになってしまい、ぼんやり片岡義男の『日本語の外へ』を開くともなしに開いたりTwitterの画面を見たりしていたら寝てしまっていた。