跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/06/07 BGM: Dimitri From Paris - Neko Mimi Mode

今日は遅番だった。好天に恵まれた今日の朝はディミトリ・フロム・パリの珠玉のエレガントな曲を聴きつつイオンでまったり過ごす(ときおりル・クレジオの講演録の集成『ル・クレジオ、文学と書物への愛を語る』を繙いて時間をつぶす)。いつもながら朝という時間はぼくにとって過ごしにくいことこの上なく、今朝も陰鬱で破壊的というか「逃げたい」気持ちに苛まれて大変だったのだけど、ル・クレジオの本を読み始めるとその本が心をガッチリつかんだのでひと時楽しむことができた。たしかさっきも書いたディミトリ・フロム・パリが「音楽は私の人生を救った(Music Saved My Life)」という曲を発表していたそうで、ならぼくの場合はさしずめ「読書はぼくを救った」となるのかなと思ってしまった。

たしかに……日々を振り返ってみても、読書はぼくを救ってくれたしことによるとぼくのこの味気ない人生を文字どおり「彩った」とも言えるのではないかと思った。おかしな話で、ぼくは決して敬虔な「本の虫」だったことは1度たりともなかったのだけれど……この日記からぼくがどんなふうな人と見られているのかぼくにわかるわけがないのだけれど、でもぼくは(何度でも書くが)ただのへなちょこでエッチな人間なので常に心のケアを必要とする。ル・クレジオのそうした講演たちを読んでいくと、概して本というものがすばらしい力を秘めていてぼくを前進させるブースターのような役割を果たし、そして心を押し広げてくれるとも信じられる。この世界の広大なスケールを味わえるほどの広がりをもたらしてくれる、と。

読書メーターによれば、ぼくはこの9年間を通して実に1,500冊の本を読んだか目を通したかして過ごしたらしい(正確を期するために書くと、同じ本を2度読んだら2冊とカウントしているのだけれど)。もちろん、そうして読みまくった本の内容なんておおむね忘れ去っており「宵越しの銭」よろしくこれっぽっちも頭の中に残留しちゃいない(だから、何度も反復して読み込まないといけないのだった)。もちろん、喜びや慰安のために読書を続けてきていることは間違いない。知識をたくわえるためではないのだった。そうした読書を望むならル・クレジオなんか読まず(「ル・クレジオを読んで年収がアップした」とか「出世した」とかいう人の話を寡聞にしてぼくは知らないので)、エコノミストや政治家の本を読むことになるだろう。

休憩中、この人生がどうだったのか柄にもなく振り返ってしまった。これがほんとうにぼくが望んだ「理想形」としての人生だったのか、とか。若かりし頃、もっとぼくの中には「強欲な」欲があった。ケダモノチックというか、ハングリー精神旺盛というか……と書けばたしかに若さの盛りにいた自分を肯定できる。もしかしたらそう肯定してもいいのかもしれない。でも、当のそんな人生の最中を生きた者として思うのはそのぼくの心の中の「ケダモノ」「異物」がいつもぼくの心を傷つけ、責め立てていたというまぎれもない事実だ。いま、もちろん完全にそうした責めから解放されたというわけではなくまだまだ「こんなものなのかなあ」とくすぶる気持ちはあれど、少しずつそうした承認欲求というのか強欲さというのか、そんなプレッシャーからラクに解き放たれてきているのを感じる。ル・クレジオが作品の中で説き明かしてきたような、この世界のほんとうの広大さ・深遠さに触れられる実感すら感じる……。