跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/04/09 BGM: Level 42 - Leaving Me Now

「なんで働くの? 私だったら働かないで、生活保護でももらって楽ちんに遊んで暮らすのに」と言われたことがあった。30代の頃のことだ。その響きは真剣だった。その時はこれといって何も答えられなかった。いまだって、たぶん答えられない。なんで働くのか……ということを考え始めるとぼくは基本的なところにまで生きつかないといけない。お金以外に、この仕事は何をもたらしてくれるのだろうか、と。

ぼくの仕事は俗に言う肉体労働で、店の中を歩き回り重い商品をあちこちにミツバチよろしくせっせと運ぶ。昔、酔いどれを気取って生きていた頃は毎日毎日こんな仕事なんて辞めたいと思っていた。酔いが回る頭で、仕事にまつわるあらゆることがらにケチを付けたっけ(ありがちな話だが、上司は総じて「頭が固い」、会社は「想像力のかけらもない」……なんてことを考えて、罵りまくったのだった)。そして、カリスマになりたいとまで考えてインターネットでさんざっぱら「吠えた」りもした。ただ、キャリアにおいてこれといって目覚ましいことなんてしてなかった。発達障害者とわかる前の時代だ。

そう、ただのカッコ悪い青二才・若造だった時期の話。野心ばかり肥大し、それが逆説的にぼくの動きを止めた(病的なほど失敗することを怖がっていた怯懦にすぎなかった。失敗から人は学べるのに)。その頃からプロのライター・作家になりたいと思い、でも草稿すら書いていなかった。

そんなことをしていて40になり、その歳に酒を止めた。ジョブコーチとぼくは仕事における共同作業を始めた。職場環境をよりよくしていくための試みだ。それが(予期していなかったが)なぜ働くのかを考えるきっかけにもなったと思う。もちろん、金は大事だ。でも仕事はぼくのライフスタイルやこの哲学にも及んでいる。上に書いてきた質問への答えはそういうことになるかもしれない。

ひきこもっていたらどうなっていたんだろうか、あるいはニートだったら、なんて考えたりすることもある。そんな生き方を一概に「ふざけてる」「怠けるな」なんて言うつもりはない。でも、ぼくに限って言えばこのぼく自身と24時間付き合って生きているから言える。そんな生き方をしていたらたぶん思い込みばかりにとらわれるひどい「現実逃避」の「狂人」になったかな、と。努力もせず、たぶん毎日タダメシを食いつつ夢をしたり顔で語るような人間に。いや、いい生き方、それこそベターな人生というものはありうる。金がある、権力がある、という。でも、ぼくはこの人生を愛せる。端的に「味わい深い」と。