実はぼくは、半年ほど大学を卒業してから文字通り「無為徒食」「空白」の時間を過ごしていたことがある。いまでいうところのニート(どこからも雇われていない、将来のための勉強もしていない、働けていない人)だ。その空白期間、ぼくはただ本を読んで退屈をまぎらわせた。大江健三郎、中上健次、古井由吉、村上春樹、などなど。そして同時に何ガロンものアルコールに溺れたのだった。だからそんなニートやひきこもりの時期が時に「不可避」なものであること、どうしたってそうした時期に見舞われることがありうることはわかっているつもりだ。それが人生ってものだろう。そうした人間として、ニートやひきこもりを全否定できない。
ただぼくはなんだかんだで、いままで仕事をしてきてしまった。この仕事が天職だとは思えない。いつだって、四六時中ぼくはほんとうに自分に向いているのは執筆・筆耕かなと思っている。でも、毎日毎日ストレスフルなことを体験していやになるとしても、仕事はやめられない。貧乏性の日本人気質なのだろうか。真面目すぎるのだろうか。
30代の頃、ソーシャルメディア(SNS)での活動にイカれていた時期がある。仕事そっちのけでそうしたソーシャルメディアにのめり込んでバズることを目指していたっけ。ああ、恥ずかしいことだ。実人生でぜんぜん面白おかしいことにめぐり会えなかったので、リアリティから逃げてそうした夢みたいなネット社会の「沼」に浸っていったのだろう。ベリンダ・カーライルの曲じゃないけれど、いまはこの実人生・この地平こそが自分の生きる場かなと思う――といったことを宿題の自由課題の紙に書いた。
夜になり、今シーズン/セメスター最後の英会話教室のレッスンに行った。最初の時間を、ぼくたちはベン・E・キングやONE OK ROCKの曲を聞かせてもらって過ごす(リスニングのための練習だった)。その後、おしゃべりのパーティータイムとなりお菓子を食べながらそれぞれ談話に花を咲かせる。こうした英語でのおしゃべりの時間はほんとうに貴重だ。とてもありがたい、得難い時間と思う。クラスが終わったあと記念写真を撮って終わった。