跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/02/29 BGM: Elvis Costello and The Attractions - Pump It Up

最近、ぼくはDiscordでウクライナの人と友だちになった。でも最初のころ、ぼくはいったいどんなことを会話の切り口となるべき話題として語るべきか探し出さねばならず右往左往してしまった。どんな話題が「おしゃべり」「チャット」にふさわしいだろうか? たとえば、ぼくは最近アンドレイ・クルコフ『侵略日記』という本を図書館で借りた。でも、容易に見えてくるようにこの種の話題は政治的な「議論」に至り、下手をすると「炎上」さえしかねない。この種のシリアスな・真剣な議論に対する心の準備や勉強は済ませられているだろうか。責任を以てそうした会話を楽しめるだろうか。ぼくの英語は「まだまだこれから」の段階なのに。

英語学習に関して初学者だったころ、ぼくは日常会話をこそ楽しむことにあこがれた。その頃のぼくにはまだ、そんな日常会話を英語で楽しむことそれ自体がどんなに難しい・高度なレベルの語学力を必要とするかわかっていなかったのだ。その頃はぼくは、日常会話(とりわけ、上に書いたような毛づくろい的な「おしゃべり」「チットチャット」)はそんなハイレベルの知識やテクニックが必要だとは思っていなかった。ああ、なんたるか! 学ぶにつれて、ぼくはそんな日々の会話をこそ楽しむために、いったいどれほどのことがらを日々学ぶべきかわかってきたと自負する。

知識やテクニックを学ぶだけでなく、ぼくはどう自分の思いを人に伝えるべきか少しずつ、ゆっくり一歩ずつ学んでこれたとも思う。英語での会話に限った話だけではなく、ぼくの母国語の日本語で話す場合でも同じことは言えるだろう。過去、20代のころ(いや30代のころでさえも)ぼくは病的なまでに内省的・内向的な弱っちい人間だった。だから正直に意見を述べることにはそれなりに困難を感じた。人に批判されたらどうしよう、と怖がって二の足を踏んだのだ(もちろんそうした批判・異論がすばらしい会話のはじまりになりうることも確かなことだが、そのことには思いが至らなかった)。今日、そのDiscordで何人かの知人がある話題に関して熱く語っているのを目にした。そして、こんなことを思ってしまったのだった。

夜になり、友だちとzoomで毎週恒例のオンラインミーティングを楽しむ。このことに関してお世辞は言いたくない――いつだって、このミーティングでは参加される方から多くを学ばせてもらっている。知識や人間力といったことがらからだ。今回、ぼくたちはこの町をどう盛り上げていくかについて語った。いつも書いているように、ぼくの英語力がこの町をもっとアクティブなものにさせられたら、そのために役立つ1本の釘のような存在になったらと願う……。