跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/02/19 BGM: XTC - English Roundabout

最近、近所にあるイオンの中の未来屋書店に行ってみて英語関係の本を見繕ってみたことがある。もっと手っ取り早くかつ楽しく英語を学べないかと思ってのことだ(もっとも、それ以前に純然たる暇つぶしにして味読する愉楽を味わいたいと思ってのこともある)。そして思ったのは、実に英語教材あるいは英語の読み物はたくさん、数え切れないほど存在するのだなというシンプルな感想だった。そうした本は実際に教鞭を執る人たち(予備校や自身の学校など)が書いており、YouTubeのチャンネルとも連動していたりする。その本の多さに感銘を受け、1冊買ってしまった。学ぶため、そして読むためだ。

学びの方法・作法としてどう英語を学べばいいのか。ひるがえって考えるに、このご時世・ネット時代において本を読む以外にも実にいろんな方法(ツール)を使って学んできたことを思い出す。DiscordやMeWeや、あるいはWhatsAppやTelegramなどで英語でチャットをしたり(意見交換……と聞こえはいいがまあ要はおしゃべりしているだけとも言える)。その他にはこの町の英会話教室にも通う。文字通り、英語の要素に満ちた生活を過ごしている。

学ぶためのモチベーション(動機)をどうやって維持できているのだろうか、と自分に問うてみる。言葉にはかんたんにはできそうもないけれど、言えるのは関心領域を大事に追い続けてきて、それに尽きるということだ。学びにおいては、やりたいことだけを自分なりに真面目にやる。実にワガママかつ貪欲極まりない。そのようにして関心を追う(いろんなことを追う。たとえば今日はぼくはピンク・フロイドについて友だちと話をしたり和風の昼弁当をシェアしたりした)。

敬愛するぼくのメンターたちは、言葉を扱うことにおいてぼくには確かな才能・素質があると言う。どうなんだろう。嘘つきと言うかもしれないが、こう言い張るしかない。ぼくはそうした自分の中の才能を信じたことは皆無だ、と。その代わり、勘の力を信じてきたとは言える。なんだかわけがわからない話になってきた……英語学習の話になるとこんなふうにこみいった屁理屈をこね始めるのがぼくの悪いクセだ。真実は単純・簡素きわまりないものなのに。

今日、総合病院に行って先生にお会いした。午後から夕方までは、休みだったこともあって自由時間を存分に満喫し昼寝に明け暮れ、ゴロゴロしてしまった(上でエラソーに書いていてもぼくはしょせんこの程度の男なのである)。夜になり、英会話教室の宿題を済ませる。そう、誰でもできること、誰もがやることをぼくはやってきて、いまもやっている。それだけである。英語学習に王道はないと信じる。ぼくにとって、これは1つの信仰である。