跳舞猫日録

Life goes on brah!

2024/02/07 BGM: Pavement - Range Life

いま、ぼくは今月15日のプレゼンテーションのための草稿を書いている。あらためて思うのは実にぼくの毎日ときたら平板で退屈なシロモノだということだ。起きる。朝のタスクをこなす(シャワーを浴びて朝食を摂り、そして服とタオルを洗う)、どこかに行く(主にイオン)、本を読む。こんなルーティンを見直して、つくづく何か変える必要があるのだなと痛感する(少しでいいのだ)。でも何を?

というか、いったいぜんたいどうしてこんなことについて考えるのか。というのはたぶん、理由の1つとしてぼくの友だちのことがあるのだろう。彼は自分の未来のプランを真剣に考え始め、日本に来る勉強をすることを視野に入れていると語るーーそのことを知り、ぼくの他の友だちがすでに人生を変えるべく、そして彼らなりに生きるべく新しいことを始めていることを知ったことを思い出す。たとえば、1人はたしかゲームデザインの勉強を始めたはずだ。別の1人は介護の仕事に就くことを考え始めている、とも。そんな感じだ。

ぼくはいったい何をすべきなのか。哲学書を読んだりそれらについて書いたりしているけれど(この日記において、あるいはFacebookで)、最近は怠慢により止めてしまっている。大学のシステム(通信教育など)を使って哲学か何かを学ぶべきだろうか。もう49だ。でも、内なる声がささやき続ける。チャレンジを止めるべきではない、あたらしい道を切り拓け、と。

ぼくにまつわる事実。今日は休みだった。イオンに行き、そこで愛とコミュニケーションについて書かれた本である大澤真幸『恋愛の不可能性について』を読み始める。明晰な論理に裏打ちされたすばらしい本だ。でも、読むことに身が入らず読みきれない。あきらめて、未来屋書店に行き三島由紀夫潮騒』の文庫本を買う。でも昼食を摂り昼寝をしたりしても、結局時間をムダに費やすばかり。なんらクリエイティブというか生産的なことができずじまいだった。

ああ、今日起きたことをもっと忠実に書きたかったのに(断酒会でどんなことを語ったか、とか)。でもここまでで書きすぎてしまった。まあ、わけがわからない理由によりこんなことも起きる。本を開いたり、SNSであるブルースカイを使い始めようかと考えたりしたけれど結局できなかった。ああ、人生とは何なんだろう?