跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/12/22 BGM: Ben Folds - The Luckiest

Xである興味深い意見がポストされているのを見かけた。有名なアイドル・なつぴなつさんによるもので、努力と才能の関係についてだ。実際、彼女はとても熱心に勉強して日本の名門校・東京大学に入学したという。この体験から、彼女は地道に学ぶことがどれだけ大事かを説いている。言い換えれば努力を重ねることで大きくなること(そして、外部の環境がもたらす才能に頼ってはいけないと)。

この種の話題になると、ぼくは自分のライフヒストリーを見つめ直す必然を感じる(怒りをこめて振り返る……というわけにはいかないんだけど)。この日記でも何度も書いてきたけれど、ぼくは過去に日本でももっとも有名なマンモス校の早稲田に居たことがある。このことについて考えると、ほんとうにぼくは両親に頭が下がる。というのは早稲田はとても学費が高かったみたいだからだ。言い換えればぼくはほんとうに「ラッキー」だったのだ。だから、ぼくは熱心に学ぶことが大きくなること、成長することだとは言えない。最初にぼくたちは個人的な、確かな勉学のための環境を作る必要がある。そこから初めて勉学を修められる、とぼくは思う(下地が大事、と言えば見えてくるだろうか)。ぼくについて言えば、両親はぼくが勉強してはいけないとかそんな道あきらめろなんてことは言わなかった(けど、たぶん「本の読みすぎじゃないか」といったことは言ったんじゃなかったかなあ、と赤面してしまう)。

前に日本で、興味深いインターネットスラングが流行った(定着したんだろうか)。「親ガチャ」というもので、説明するなら「どんな親のもとに生まれるかは『クジ』で、したがって『運次第』で『当たり外れ』がある」となるだろう。親はぼくたちの人生において、道を進むための大事な役割を果たす、と。「親がリッチ(金持ち)だったら、もっと理想の人生に向かって楽チンに生きられたのになあ」……という願望を許してしまう考え方だ。いや、「情けない」「弱虫」と思うだろうか。ぼくは「言い得て妙」と思う。上にも書いてきた理由によって。

確かに、親や教師や外部の環境、与えられた「天分」などさまざまな込み入ったファクター(要因)が絡まってぼくたちは形成されている。努力だけを見ていてはそうしたことがらが見えなくなる。ぼくはたぶん恵まれた発達障害者なのだろう。でも、努力は嫌いではないのだった(とりわけ、英語を学ぶことは)。この愛……努力することを愛することがぼくが「才人」であることの証なんだろうか。