跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/12/04 BGM: 中谷美紀 - Superstar

今日は遅番だった。朝、ぼくは小林信彦が1960年代に書いていた日記を編集した文庫本『1960年代日記』を読んだ。そして、彼はとても強いこだわりを彼自身の中に保持していたことを思い知らされた。だからこそ彼は世界におけるあらゆる物事・ことがらについて批評を書くことができたのだろう。彼はとても生真面目で率直な人だ。

ぼくは1975年に生まれたので60年代がどんな時代なのかわからない。頭の中で描けるものといったら基本的には本が教える物事ばかりだ。だからこの本はそうした過去の事件を学ぶための好個のドキュメントだ。とても「生々しい」ドキュメント。

この本を読むことで、ぼくは日本における文学の2つのジャンルについて考えさせられる。1つは「純文学」、とてもアートな、高踏的な芸術としての文学。そしてもう1つはエンターテイメント。退屈な時間を忘れて楽しませてくれる面白おかしい・興味深いものだ。たしかに、ぼくは小林の書いたものをさほど読めていない。でもぼくは小林がこの「純文学」と「エンターテイメント」の垣根を越えようとしているのではないかと読んだ。

小林のこの本を読みながら、ぼくはモータウンの名曲たちを聴いていた。思い出す――前にぼくはモータウンのことをずいぶん嫌った。この種の音楽を認められなかったのだ。というのは、とても「商業的」「コマーシャルな」音楽だと思ったからだ。でも、いまはぼくは好んで聴く。とても美しい達成だとさえ思う。甘くてソウルフルだ(モータウンは芸術的、とさえぼくは思うようになった)。このロジックを、文学に関するぼくの意見を語るために使えないかと思う。いい作品はそんなアートとエンターテイメントの垣根を超えて伝わりうる(つまり、それが「ポップ」だということだ)。

夕方、Discordである方がメッセージを送ってくれた。「きみのゴールはどこだ?」。彼はそうぼくに訊いていた。なぜ日記を書くのか。どうなりたいのか。難しい、答えるのに骨が折れる問題だ。でも、このゴールについての話題を語らんとするなら、結局はぼくは未来にどんな究極のゴールも持っていないと言うしかない。ただ書き続けて、毎日の小さな創造を完成させる。それがぼくの人生だと思う。