跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/10/24

BGM: BUCK-TICK - JUPITER

今朝、ぼくは職場の会議に出席した。そこで上司のパワーポイントの文字を読んでいて、ささいな誤植を見つけた。その会議が終わってから、突然このことにいま一度思い当たった。定型発達の人々(俗に言う「普通の人々」)はこの世界をどう見ているのだろう? ぼくの地点から言えば、ぼくはどうしてあんなミスを見逃すのかわからない。ぼくたちはたぶん同じ世界を生きていないとさえ言えるのかもしれない。というのは、価値観が基本的に異なっているかもしれないからだ。

そういうことは起こりうる……この日記で書いてきたように、ときどきぼくはこの世界がとてもカオスだと思ってしまう。ぼくはプロの批評家でも知識人でもないのだけれど、でもドナルド・トランプの時代のゴタゴタのあとでこんなことを思うようになった。この世界は矛盾する意見であふれ返っている。リベラル、保守、その他いろいろ……ぼくの意見や価値観は「1つの個人的なもの」で、「メイン」「主流」ではない。ぼくはあなたの意見を学ばないといけない。この世界を深く知るために。

ならば……この世界は危険だ。言い換えればぼくたちはもう、ひとつの基準や理想を信じて世界をよりよくするということが不可能だからだ。ぼくの場合、ぼくは自分の発達障害をオープンにすることがダイバーシティ(多様性)の理想を実現させるのに役立つと信じる。でもある人たちはそのことを「個人的過ぎる」とか「ヤバい」と考えるかもしれない。ぼくは自分を「雑種」にしたい。さまざまな価値観をぼく自身の中に取り込み、自己内対話を続ける人間として。

仕事が終わったあと、ぼくは新しい英会話教室を楽しんだ。軽く自己紹介をし合う。ふたりのネイティブの英語教師がアメリカの秋について教えてくださった。食文化(ハロウィンにかぼちゃを食べる、など)や景色の変化(葉がどのようにして紅葉になるか)。生徒たちは日本流の秋の過ごし方について話し合う。日本の秋祭り、ハロウィン、体育の日など。先生たちは日中の仕事で疲れているはずなのに陽気に教えてくださった。このクラスに自分が貢献できることを考えてしまった。