跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/06/24 BGM: Gorillaz - Feel Good Inc.

今日は休みだった。午前中はブラー『パークライフ』を聴きながらカレン・チャン『わたしの香港』を読み進める。ぼくはこの本について(あるいは香港という土地について)誤解していたのかもしれない。ぼくが期待していたのはもっと「民主化」に揺れる、催涙ガスやデモの空気に満ちた活気にあふれた香港の姿だった。でも、この本から見えてくるのはそうした香港ではない。これはもちろんこの本を腐すことにはならない。ぼくはついつい、「メディアが流布する香港」「ぼくがあらかじめ見たいと思っていた香港」の姿をこの本の中に探そうとしていたのではないか。違う、と著者なら言うだろう。ほんとうの香港とは、あるいはそこで暮らしていく生活とはもっと複雑/豊満なものなのだ、と。この本、ぼくが読む本として今年のベスト候補に「必ず」入るはずだという予感を抱く。実にリキの入ったノンフィクションで、著者がまっすぐな言葉で自らが抱える生きづらさを語るその真摯さに惹かれる。「刺さる」1冊だと感じる。

『わたしの香港』の影響で、ぼく自身の青春時代について振り返ってしまう。ああ、ぼくがまだまだ青二才だった頃……ぼくにとってはデーモン・アルバーンがヒーローであり、だから毎日のようにブラー『モダン・ライフ・イズ・ラビッシュ』や『パークライフ』を聴き漁っていたことを思い出す。知られるようにこれらのアルバムは実に「英国的な」アルバムであり、もっと言えば「白人的(ブルーアイド)」な音楽であるとぼくは解釈する(異論はもちろん歓迎する)。そんな音楽に狂っていたあの頃のぼくは、もしかしたら聴きながら「なぜぼくはこんなアジア人として生まれてきたのだろう」「なぜここはロンドンでもリバプールでもマンチェスターでもなく日本なのだろう」「ああ、ぼくはみじめだ」と思ってさえいたかもしれない……少なくともあの頃のぼくはまったくもって黒人的な音楽(ジャズやファンク、ヒップホップ)、あるいは辺境の音楽(レゲエやロックステディ)は眼中になかった。「白人になりたい」と思ってさえいたかもしれない……というのはさすがに自虐・自嘲が過ぎるだろうか。デーモン・アルバーンは絶対みっちりそういった多彩な世界の音楽から学んでいたかもしれないというのに!

昼、グループホームの施設長の方と話をする。お金で失敗したことについてぼくは打ち明ける。ぼくはその方に「コンフォートゾーン」の話をする。ぼくは難儀な性格の持ち主で、けなされることに居心地の良さを感じるようなのだ。褒められると(ああ、ぼくはDiscordやMeWe、あるいはプライベートでたくさんの人の好意を感じる!)居心地が悪くなり、「いや、ぼくなんて」と思っていたたまれない気持ちになってしまう。それもあってか、ぼくは褒められる自分をストレートに受け容れられず「自分はクズのはずだ」「ぼくはバカでいいんだ」と思って自罰・自傷に走って買い食い・衝動買いをしてしまうのだと思う。でも、そんなことを言っていても物事は始まらない。褒め言葉は「おいしく」いただくべきだ……夜にこのことで、今おつきあいさせてもらっているロシアの方と少し話をする。その方も勇気を出して彼女自身の「コンフォートゾーン」から抜け出すべく奮闘してきたという。ぼくも自分の「壺中の天国」(というのは倉知淳の傑作ミステリのタイトルだが)から出なければ……と思って今、ぼくは回想録を書いているのだった。そう思って、また英語関係のミーティングを申し込んだ。はてさてどうなることか。

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そして、今日は夜にシリル・コピーニという方のZOOMでの講演を聞かせてもらった。彼は青山剛昌のマンガ『名探偵コナン』を日本語からフランス語に翻訳し、また落語家としても活躍しているという。彼自身が語る日本語との運命的な出会いや彼が日本の明治文学(具体的には二葉亭四迷の作品)を通して日本文化を学んだこと、落語を探求してきたこと、『名探偵コナン』を翻訳することになったきっかけなどを教わる。質疑応答の時間になったのでぼくは恥をかくことを恐れず「明治文学の日本語や落語の日本語、マンガの日本語などさまざまな日本語の中でシリルさんが好きな日本語は何ですか」と質問した。するとシリルさんは「大阪弁が好きですけど、どの日本語も奥が深い。どれだけ勉強しても汲み尽くせないですね」というようなことをおっしゃった。それはぼくがここのところ考えている英語学習の難しさと面白さともつながると思った。ああ、今日は(施設長には少し叱られたけれど)実に貴重な1日だった。ぼく自身の日本人としてのアイデンティティについて、そしてそんな立場から外国語を学ぶことの大事さについて考えて今日を締めくくった。