跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/05/30 BGM: The Police - Synchronicity II

今日は早番だった。片岡義男のエッセイを読み返す。彼は英語学習について「正しい基礎」を身につけることが大事と説いている。私たちはついつい言語学習について、それは「自然に」身につくものでありそれは英語にしても同じ、と考えがちだ。なんの主体的努力をしなくとも、ただ英語を浴びていればそれは「自然に」身につく、と……だが片岡義男はそれに異を唱える。言葉は「きわめて人工的に身につく」ものだと彼は語る。つまり言葉はたゆまぬ努力あってこそ、日々の努力によってこそ「身につく」ものなのだ。それに私は共感を抱く。いつも書いていることだけれど、こうした英語の学習は才能に頼るのではなく地道に毎日コツコツ積み重ねていくのがいいのだと思った。そうして日々、単語を覚えたり文を組み立てたりすることが確実な進歩をもたらすのではないだろうか。少なくとも私は自分の英語力を向上させるために努力している。もちろん、未だに私は英語でしくじることもあるので話半分で聞いてほしいのだけど。

それにしても、我ながらずいぶん好き勝手に生きているものだ。会社で管理職になることを目指してあれこれあくせくと働くことをせず、まさに猫のように気まぐれに好きなことを追及して生きている……中島義道が言うところの「人生を〈半分〉降りる」生き方というのだろうか。半分は会社に籍を置いて日々の糧を得ることに務めつつ、もう半分は「自分の道を歩む」というか「したいことを追求する」。そんな生き方は人からすると不真面目なのかもしれない。エゴイスティックかもしれない。だが、そんな歩き方もまた認められて然るべきだというのが私の意見である。子どもの頃から私は集団に馴染むことが苦手で、それよりは自分の道をコツコツと追求することを好んでいた。それは今でも同じだ。英語を学び、コミュニケーションを楽しむ。そこからいろいろなことを学び、多様な他者の意見に触れる。それが私の生き方だ。そんな「我道」を見つけられたというのも幸福なことなのかもしれない。今はほんとうにストレスなく生きられていると思う(皆無になったというわけではないにせよ)。

clubhouseで知り合った方から、Facebookを通してオンラインサロンに参加することを薦められた。明日参加することになった。英語関連のサロンで、海外からもメンバーが参加するにぎやかな集いになるようだ。芸は身を助くというけれど、英語はずいぶん自分を助けてくれていると思った……最近はまたclubhouseに入るようになって、そこでスピーキングとリスニングを鍛えている(つもりだ)。そこで面白い出来事をシェアしたり、世界情勢について学んだりする。面白おかしくコメディアンのように話そうと力まなくてもいいのだ。ただ自分らしく無理をせずに振る舞うことに務めること。英語がまずかろうと謝ったりしなくてもいいのだ(私の英語だってほんとうに「ジャパニーズブロークンイングリッシュ」丸出しの酷いものなのだから)。そのオンラインサロンに加えて来月からは英会話教室もある。英語関連のアクティビティが充実してきているのを感じる。スマートフォンのリマインダ機能を使って「ど忘れ」しないようにしなければならない。

何度でも言うけれど、私は留学経験もない。大学にいた頃だって卒論は日本語で書いた。それに加えて言えば、英語を今みたいにそれなりにシリアスに学び始めるようになったのも穏当につい最近のことだ。それまで、私はずっと人生に絶望して「もう死にたい」とばかり考える酒びたりの日々を送っていたのだから。私にとっての「先生」との出会いがあり、その方を通して宍粟市国際交流協会が開く英会話教室が存在することを知ったのだった。自分の「純ジャパ」丸出しの英語でいいのかどうかためらいもあったが、行ってみるようになっていろいろなつながりができ始めてきて……そこから言えるのは、人生いつからだって始められるということに尽きる。どこからだって始められる……今はそんなふうにして英語を通して多様な交流を楽しめている。これから自分は50になり60になり、老年に差し掛かる。鏡で自分の顔を見ると「老けたなあ」とも思ってしまう。おかしなもので、私のマインドの問題としてはまだまだ幼いというか、未だに成熟/円熟した大人になりきれていないのだけれど……。