跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/05/11 BGM: Daft Punk - One More Time

今日は早番だった。会社が方針を変え、従業員のマスク着用は自己判断に任せるとなったので今日はマスクをしないで仕事をした。と言ってもコロナ感染者は増えているともいうので油断はならない。マスクをしなかったのは別段大きな理由があるわけではなくて、ただ「なんとなく」というか自分の中の声に従ったからとしか言いようがない。マスクをしない生活、コロナに脅かされない生活が実現しようとしている。ただ、今日も時折トイレに行った時に鏡に映る自分の顔を見て、マスクをしていないことにびっくりしたりもした。コロナ禍「以前」の生活を取り戻すのはだいぶ先のことになるのかもしれない。私はこういうことに関して、なんら現実的な戦略的思考を展開できない。ただ「なんとなく」で生きてしまっている。それを言い出せばこの会社で仕事を始めたのも、早稲田に行ったことさえ「なんとなく」なのだからぜんぜん威張れたものではない。断酒したことも、発達障害を考えるミーティングに参加し始めたことも自分の中のインナーチャイルドがささやいたから、としか言いようがないのだった。

昼に佐野元春を聴く。「SOMEDAY」や「Rock'n Roll Night」といった曲を聴き、こうした曲が現代の生活を祝福しているように聞こえたので私もつい浮かれてしまう。佐野元春は日本のミュージシャンたちから慕われている印象を受ける。私自身のことを思い出す。私自身、過去に「迷える子羊」だった頃に自分より先を歩むと感じられた方々をずいぶん信奉して、「ついていこう」としたものだった。だが、結局私はエゴイスティックな人間だからなのかそうして虚心に生きることができず、そうした先輩たちとは喧嘩別れしてしまった。今は私は誰の後をも追いかけているとは思っていない。もちろん今でも尊敬する方はいる。その方から日々、大事なことを学んでいる。だが、私はあくまで私自身の中に主体性を保持していたいと思っている。私が、誰かを信じたり追いかけたりするこの私の行動に「自己責任」を負う。そうして生きる。そうしないと、私は自分を誰か他の人に委ねたり預けたりしてしまって主体性を失いロボットのように生きるしかなくなると思う。そんな人間にはなりたくない。

池上英子『自閉症という知性』を久しぶりに読み返す。この本の中で、発達障害を抱えた人たちの豊かな世界認識のありようが語られている。私自身、世界が内包している豊かさそのものをそうした記述から知る思いがした。私も、人から英語が秀でていると言われることがあり、そのような言語能力もまた敢えて言えば「ギフテッド」なものなのかもしれないなと思う。そうした世界認識や特殊能力は明らかに「普通」の枠からはみ出すものである。ゆえにそうした「普通」でない人たちは生きづらい思いをするより他ない。しかし、彼らにも尊厳は与えられてしかるべきであり彼らのものの見方もまた「one of them」として、つまり多様性を支えるものとして認めるべきであるとも思う。発達障害の世界ではニューロダイバーシティの考え方、つまりそのようにしてバラバラに個々人の能力が違っていることこそが世界を豊かにするという考え方が主流となってきていると思う。そんな脳の多様性について今一度考えさせられた。

夜、ZOOMでミーティングに参加する(ミスをしてしまい、少し遅れて参加してしまった。実にお恥ずかしい)。今日は私のプレゼンテーションとしてDiscordについて話す。Discordで英語学習を続ける日々を過ごしていること、そこから英語を学ぶことがどう自分自身を作っているのか……どうなるかと思ったけれど、話し終えてみて他の方から積極的に質問が寄せられたことをありがたいと思った。Discordでつながるコミュニティの話から、田舎特有のコミュニティの交流の仕方についてなど話はさまざまな方向に転がっていく……このミーティングはコロナ禍が始まった頃くらいから参加するようになったと記憶しているのだけれど、参加するたびにさまざまな方の意見に学ばされている。学び続けること、交流を深めていくことは自分にとって「癒し」なのだろうと思う。これからも、リアルやネットを問わずこうしたミーティングやDiscordなどで人と出会いを繰り返し、学ぶ日々を続けていきたい。「Beat Goes On」(佐野元春)。学ぶ日々に終わりはない。