跳舞猫日録

Life goes on brah!

2023/03/26 BGM: Prince - Batdance

ついにこの日記も600日目に達する。今朝、いつものように日記を書く。他の方のブログで英語の功徳について書かれていたのを興味深く読む。私の場合はTOEICだとか仕事だとか関係なく(実際に今のところ、仕事でこの英語が役立ったことはほとんどない)ただ自分の向学心のために英語を学び続けている。あとは友だちをたくさん作りたいという気持ちもあってのことであり、あとは語学の学習は精神衛生上よろしいと柄谷行人も言っている通り私自身の心の支えのためでもある。なんにせよ語学を学んでいて今のところ損をしたとか時間がムダだったと思ったことはない。裏返せばいいことずくめとも言える。DiscordやMeWeで英語で他人と交際していると日本人だけのコミュニティであれこれ話し込むのとはまた違った楽しみがあり、蒙を啓かれる気持ちになる。この日記の英訳を心待ちにして下さる方もいるということで、語学学習からは日々確かなありがたみを感じている。

英語がそこそこできると何がいいか - ぱなしのお玲

最近はTwitterに出入りすることも少なくなったのだけれど、それでも覗くことは覗いている。ただ私が投稿する際は、安倍元総理が暗殺された時に顕著だったのだけれどあまりにも非人間的なツイートに自分自身も呑み込まれてしまわないように(そうした群集心理に呑み込まれて我を忘れてしまい、激昂してあとになって恥をかいたことなら30年間ほどのインターネットライフで何度もある)、私自身の節度を守ったツイートをしたいと思っている。もうフォロワー数を競ったりバズったりすることに興味を持たなくなってしまった。自分には確かなリアルでの断酒会や発達障害絡みのコネクションがあり、ネットでは英語学習や読書絡みのコネクションがある。それで充分ではないか、と思うようになったのだ。目立ちたいとも「カリスマ」「アルファ」になりたいとも思わない。

昼、Twitterで承認欲求について他の方がツイートしておられたのを読む。その方が「理性でコントロールすべきだ」と書いておられたので、それは違うのではないかとコメントしてしまった。承認欲求を満たしたい、他人から褒められたいという気持ちは私自身の恥ずかしい過去から振り返るに、常に「しがみつく」気持ちと「突き放す」気持ちを行ったり来たりするものではないかと思う。お酒に対するアンビバレントな感情とその点では似ている。ならばアルコール依存への対処法がそのまま使えるのではないか。理性でコントロールできるという過信を諌め、無力であることを認めた上でさまざまな他人と適切につながる。そうした他人を頼る力(「他力」と呼ぶのだろうか)を信頼することが他人への依存(イコール承認欲求?)を抑える方向に働くのではないか、と思った。

夜、グループホームに戻る。今朝眠れなかったことが祟って眠く感じ(春は眠くなりやすい季節であることも祟って?)、夜の読書タイムの友としてデス・イン・ヴェガス『デッド・エルヴィス』を聴きながら日野啓三ジャック・ケルアックを読んでいたのだけれど途中で眠ってしまった。聴く音楽のローテーションも固まりつつあるようだ。仕事前は最近はプリンスの「バットダンス」をテンションを上げるために聴き(「空耳アワー」で一躍有名となった「農協牛乳!」という空耳が入っているあの曲です)、昼はローリン・ヒルなどのスウィートなソウル・ミュージックに浸り、夜は静かにジャズを嗜んだりこうして私が20代の頃に流行った音楽を楽しむ。もはや流行を追うこともやめて、私の欲望はどんどん衰えていく。とはいえ気まぐれなのでこの夏はキング・クリムゾンを聴きつつディケンズトルストイを読んでいるかもしれないのが我ながら怖いところなのだった……。