今日は遅番だった。朝、小坂井敏晶『答えのない世界を生きる』を少し読み返す。著者の波乱万丈の半生とそこから生まれたユニークな価値観について綴られた本で、私自身の過去について考えさせられる。私は今でこそこうしてのほほんと暮らしているけれど、かつては作家になりたいと夢想ばかり膨らませて、でも現実的には小説など書かずにひたすら酒に溺れていた。酒を呑むと一時的には酩酊状態に陥ることができる。何もかも忘れられる。でもシラフになるとそん無為な享楽に耽った自分に自己嫌悪を覚える。だから酒を呑む……そんなことをずっと繰り返していたっけ。
ああ……私の収入では決して安いとはいえない自己啓発セミナーの教材まで買い込んで、私は自分自身を変えよう、新しい人間になろうとあがいたものだった。結局いつも書いているように40歳をすぎて出会いがあり、私は信頼できる方々に恥を晒したり悩みを打ち明けたりすることができるようになった。そうすると、私は自分のことを愛することができるようになった。これは理屈では(今のところ)説明がつかない。自炊やその他のライフハックを学んだりして、自分自身の限界を改めて思い知りそして自分の輪郭を掴み、自分自身と腰を据えて向き合うことができるようになったのだと思う。
過去を振り返れば、決して自分はうまく生きてこられたわけではない。今でこそ英語で日記を書いたり哲学や脳科学の本を読んだりして面白おかしく生きているけれど、それにしたって何者かになるためではない。実にコスパの悪い、ムダの多い人生だ。だが小坂井敏晶の人生の回顧録を読ませてもらっていると、そうしたデタラメというかムチャクチャな人生の試行錯誤が最終的に大きな曼荼羅を描くこともあるのかもしれないな、と思わされる。学問に王道なし、とはよく聞く言葉だ。私の生き方だって、アホみたいではあるかもしれないけれどあながち間違ってはいないだろう。
今日は成人の日だった。私自身は自分が新成人になった時、式典には出ずにひたすら本を読んだか音楽を聴いたかして過ごしたのだと思う。あまりにつらかった時期だったからか、当時のことを何ひとつ思い出せない。まだ自閉症のことも知らなかった。そしてこれからどんな人生が待っているのかも。今、これからどんな出会いがありどんな人生が待っているのか、私にはまったくわからない。心がけることと言えば、軽いノリで動いてみる、ということだ。理屈をこね始めると動けなくなるので、ただ身体が望むままに動く。そうすると意識がその動きに伴って変化する。理屈はあとからついてくるものだ。とにかく動くこと、そして楽しむこと。それに徹したいと思っている。