跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/12/25 BGM: Momus "Christmas On Earth"

今日は休みだった。クリスマスだろうと何だろうと私の日常はいつもと同じ。朝、朝活の一環でイオンに行く。そしてそこでHowie B『Music For Babies』を聴きながらアンドレイ・タルコフスキー『映像のポエジア』を読み始める。タルコフスキーの映画はそんなに詳しくないのだけれど、この本は彼の真摯な思索が濃厚に展開されていて読み応えを感じる。私は1975年に生まれたので、冷戦が終わった頃はまだタルコフスキーを知らなかった。したがって彼が冷戦構造の中でどんな映画作りを強いられていたか知らない。このあたりは類書を読んで学ぶべきかなとも思った(仕事でもないのに学んでどうするんだよ、なんて言わないで下さい)。

昼、グループホームの本部に行く。そこで施設長の方にボーナスの一部を預ける。ゆっくり話をできなかったのだけれど、ともあれ自由になった分のお金は好きに使っていいと言って下さった。なので青山真治の日記を晴れて購入する。このまま来年も貧乏ながら穏やかな生活が続くのだろうか、と思う。その後グループホームの自室に戻り、タルコフスキーの映画でも観ようかとも思ったのだけれどそのまま結局『映像のポエジア』を読み終えるところまで至った。タルコフスキーにとって映画は芸術だったが、同時に民衆/観衆のための娯楽でもあったのだろうか、と思う。そこまで読めていないのでいずれ再チャレンジしたい。

ここまで書いたことから、発達障害自閉症をめぐる2つのことが浮き彫りになっていると思う。1つは、決まりきったことを決まりきったようにこなさないと落ち着かないという性格(几帳面、と私は言われることもあるがそれはどこまで正確だろう。私の汚部屋の中を見てもらえればわかるが私ほどズボラな人もいない)。もう1つはある分野に関心を持ったならそれをとことんまで掘り下げないと気がすまないという性格だ(その探究心はしばしば専門家顔負けのところに至る)。昔ならこうした性格に自己嫌悪を抱いたかもしれないが、今は「私は自分のままで幸せ」と受容できる。それがありがたい。

夜、坂本龍一やGoldmundなどを聴きながらぼんやり過ごす。アンディ・クラーク『現れる存在』という本を積読のままだったことに気づき、読み始めてみるとそれが面白い。思えば今年だったか、脳科学についてもド素人なりに調べていろいろな本を読み耽ったものだ。どうせ忘れてしまうのにどうしてそんなに本を読むのか、と言われるだろうか。だが、本の中のどんな細部がどんな風に私をクリティカルヒットしてどう「次」に突き動かすかは誰にもわからない。わからないなりに読んだもののほんの一部でも、私の血となり肉となるのなら嬉しいことだと思う。そうして私は本を読み続けるのだった……。