跳舞猫日録

Life goes on brah!

2022/12/03 BGM: 佐野元春 "Christmas Time in Blue"

2022年はどんな本を読んだかと思って、少し振り返ってみた。今年初めは脳科学の本を読み耽っており、自分自身の意識がどこにあるのか素人なりに考えていたと思う。その一方で鶴見俊輔という思想家の本を読み、自分の小市民的な生活から生まれる思想について考えたりもしたのだった。あとは保坂和志を読み、村上春樹片岡義男沢木耕太郎といった書き手の本を読んだ。最近はジョン・アーヴィングに関心が向いている。読む本の方向性はこうして見てみると保守的な方向に向かいつつある。シブくなっている、と言えるかもしれない。

今の自分自身をふと振り返ってみて、これが本当になりたかった自分なのかなと考えた。確かにセレブというか、有名な人間にはなれなかったけれどそれでもそれなりに本を読み、それなりに映画を観たりして鍛え上げた自分がここにいることに気づく。ここに至るために自分は頑張ってきた……あるいはすべてはここに来るまでの伏線だった、と考えると自分自身の生きる意味が見えてくるようにも思える。英文学を学んだのも、村上春樹と出会ったのも、映画をアホみたいに観てきたのも、すべてはこうして「ここ」にたどり着くためだった……。

職場では相変わらず私は変な人であり、異物であるようだ。多分彼らから見れば私のやっていることは発達障害を盾にした「よくわからないことをゴネている」としか見えないのではないか。そして、それは一面では真実かもしれない。この絶望的なズレをどう埋めていくか、それが課題となりそうだ。私は自分自身が発達障害自閉症として生まれてきたことを「間違いだった」と断罪したくはない。橋本治に倣って、ハズレくじを引いたこの人生を当たりくじとしてひっくり返すべく奮闘したいと思っている。それが生きるということなのだろう。

夜、ネットフリックスで『ノエルの日記』を観る。あまり感心しなかった。陳腐なドラマだ。いや、トリッキーな言い方になるが陳腐なドラマが即ダメというわけではないだろう。先が読める作品にもそれなりの味わいというものはあると、一般論として思う。ならこの映画では何がダメかというと「タメ」がないというそこに尽きる。いったいこの登場人物たちは何を考えて、このストーリーはどんな謎を孕んでいるのだろうかとこちらを考えさせる瞬間がないのだ。すべてがフラットというか、サクサクと進み過ぎている。それゆえにこちらの心に響かないと思った。