跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/10/21

精神科医中井久夫がかつて、なぜ人を殺してはいけないのかという質問に対して「それは一個の宇宙を消滅させるからだ」と答えていたのを思い出す。この答えが殺人を禁じる決め手になるかどうかはわからない。だが、人の中に無限の思念があり、無限の世界があること。人格を有したひとりの人間であること、故に「誰もが」尊いのだということを、この言葉からは学んだと思う。私たちの中には宇宙がある……そう考えてみると、ひとりひとりの人間それ自体が神秘なのだろう。そんなことを考えつつ、仕事前の時間を過ごした。

Twitterを久々に見ていると、ネイティブの英語話者から「英語が上手ですね」と言われることに複雑な気持ちを感じるというツイートを見かけた。私も英語が上手だと言われることもある。もらえるものは素直にもらうのが私なので――それは発達障害も関係しているのだろう――その言葉の言外の意味まで汲み取りたくない。だが、どれだけ勉強してもネイティブと自分のような後天的に英語を勉強した人との間には差異がある。それは個性とも言えるのではないか。私は自分のぎこちない、フォーマルな英語を愛している(そして、自分を愛することが英語上達の秘訣かもしれないと思っている)。

フェルナンド・ペソア『不安の書』を読み終える。國分功一郎の本を経由して、ハイデガーが「存在していることそれ自体が退屈だ」という形の退屈さもあると語っていると聞いたことがある。ペソアも知性派であり、それ故に生きていることそれ自体が苦痛であり倦怠感を感じざるをえないと考えていたのだろう(今で言う「繊細さん」?)。そこから生まれる散文は難解だが、こちらの心理を掴む確かな言葉に満ちている。生きづらさをこじらせて今がある自覚があるので、ペソアに倣って自分もその生きづらさをストレートに表現するのもいいのかもしれないなと思った。

思い出す。自分も小説家になりたいと思い、恋愛をしたこともないのに必死で恋愛小説を書こうとして、フェイクで終わってしまったことを。今、私の中にある材料をそのまま小説にするとしたらそれは恋愛小説やその他大衆小説にはならないと思う。私も東野圭吾みたいなポピュラーな作家になりたかったが、なれない。これが私の生きる道……というわけで、ポール・オースター『ムーン・パレス』の主人公マーコに宛てて手紙を書くということを始めてみた。余力がないので、英語で書いただけで日本語訳はできていない。前に私の書くものを読んで下さっている方がグーグル翻訳を使ってまで読んでいると聞いたことがあるので、なんだか申し訳なく思う。