跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/10/15

ダイソーに行き、3インチ×5インチのインデックスカードを買った。それに早速、片岡義男を意識して自分の思ったことをメモしてみた……とは言うものの、実際に書いてみたら片岡とは似ても似つかないものになってしまった。今思っていることをそのまま書いてみる……英語で書くことにしたのは単にそっちの方が続きやすいからかなという理由からなのだけれど、今のところ書いてみてさほどストレスを感じない。あっという間に6枚カードを書いてしまった。100枚入りを買ったので順当に行くと2週間ちょっとで使い切る計算になる。

今朝、clubhouseでジュディスさんと話す。水曜日に参加したミーティングの話をして、私が親しくさせてもらっている元ひきこもりの人の話をした。だが、彼について話す際に自分は改めてひきこもりの問題についてなにも知らないというか、説明できるほどの知識を持っていないのだなという「限界」を感じてしまった。説明できるように私もひきこもりについて勉強していないといけない。「人はなぜひきこもりになるのか」について。それは多分この日本の環境が酷くストレスフルであることと関係があると思っている。

日本の社会は自己責任原則が根強い。故に、ひきこもりの問題も「好きでひきこもっているんだったら問題はない。しっぺ返しを喰らおうが本人が『自己責任』で引き受けるべきだ」という意見が出てきている印象を受ける(と書いて、これは「藁人形論法」かなとも思うけれど)。だが、私はこれまでひきこもりの人たちの話を聞いてきて、「死にたい」「なぜ生まれたんだ」と自分を責め続け、部屋から出られない人たちの生活が楽ちんなものだとは思わない。私が酒を止めるに止められなくて苦労したように、彼らも現状を打破したくてできないことにやきもきしているのだろうと思う。

私は発達障害者として生まれた。変人と見做されて、それなりにキツい人生を歩んできた。日本がアウトサイダーに対してどれくらい冷たいか(そして、いざ彼らを認めるとどれほど従順に従うか)わかっているつもりだ。そんな私としては、今はアウトサイダーにとって生きづらい時代なのではないかと思う。発達障害についての研究も進み、必ずしも暗澹とした未来ばかりが待っているとは思わない。だが、私たちの意識が変わらない限り、アウトサイダーとして生まれた者の生きづらさは軽減しないのではないかと思う。