Back To Life

Back To Reality

2021/10/05

Facebookで日記を書いていることをインドネシアの知人にclubhouseで教えたところ、「どうして日記を書いているの?」と言われた。理由はない。いつの頃からか私はこの作業を始めて、ただ続けているだけだ。それが他の人から興味を持たれたり好評で迎えられたりしているので、それにノセられて書き続けるようになった。敢えて言えばFacebookの空白の入力欄を見るとなにか書きたくなってしまう強迫観念が理由なのかもしれない。そのインドネシアの方とも、繋がれるのであればFacebookで繋がりたいと思った。

スティーブ・ジョブズが残したという「今日が人生最後の日なら、あなたはどう過ごすか?」について考えた。私自身、40で死のうと思って酒に溺れて生きてきたのでその40を越えて生きている今、自分の人生があることに有難味を感じている。だけど、この名言はある意味「脅迫」のようにも聞こえる。毎日「人生最後の日」と思って生きると、とても辛い。私は開高健が語ったように「世界が明日破滅に向かおうとも、今日私はリンゴの木を植える」という生き方をしたいと思っている。慌てないで、そして腐らず諦めずに。それこそが美しい生き方ではないかと思っている。

「親ガチャ」という言葉を聞いた。私たちは言うまでもなく、どのような親の元に生まれるか選べない。つまり、親の収入や趣味がある意味では私たちの生まれ育つ環境を左右する。それをガチャガチャに喩えて語った言葉だそうだ。この言葉の是非はさておき、英語にすればどうなるのかということを考えてしまった。「Parent Lottery」というのが直訳になろうが、「Parent Roulette」というのも面白いかもしれない。ちなみに、私は橋本治が語った「人生はハズレがある。それをひっくり返すために人生がある」という言葉を思い出してしまう。親を選べないことはむろん残酷な真理だが、私たちは状況を変えられる。

夜、ジム・ジャームッシュ『デッドマン』を観る。ジム・ジャームッシュの映画は好きだ。地味で、盛り上がって胸がスカッとする瞬間がない、日常にべったり足の着いた映画なのだけれど、「だからいい」としか言いようのない困った映画でもある。私は子どもの頃から『ドラゴンボール』も『北斗の拳』もなにが面白いのかさっぱり理解できなかったから、そういう「日常系」の映画が沁みて感じられるのだろう。映画を観ることは日常を忘れるためではなく、日常の素晴らしさを再認識するためなのかな、と思った。