跳舞猫日録

Life goes on brah!

2021/09/14

以前にはあちゅうというブロガーの本を読んだ時に、成功する人は自分に対するインタビューができている人(だから、どこからでも話題を引き出せる人)だと書いてあったのを思い出した。clubhouseやその他オンラインミーティングで面白い話題を提供したいと思ったので、『SNOOPY MY BOOK』という文庫本サイズのメモ帳を買ってそこにネタになりそうなことを書き留めておくことにする。こうしていても私は本番に弱いので、どうしても思う通りに喋れない。メモをとる小賢しさよりも本番で臨機応変に振る舞う度胸を鍛えた方がいいのかもしれないけれど……。

スコット・フィッツジェラルドマイ・ロスト・シティー』を少しずつ読んでいる。あまりピンとこない。だが、訳者の村上春樹フィッツジェラルドという作家に関しては最初は面白さがわからなかったと書いてあったので、ともあれ借りている『ザ・スコット・フィッツジェラルド・ブック』『バビロンに帰る』を読みたいと思う。できれば同じ村上春樹が訳しているビル・クロウの『ジャズ・アネクドーツ』も、ジャズを聴きながら読みたい。レイモンド・カーヴァーの本も読みたいと思っている。村上春樹づくしの日々が続く。

明日のオンラインミーティングでは、話したいのは「なぜ生きる」という話だ。私は、生きることに意味や目的は要らないと思っている。いや、嘘も方便というくらいだから架空の意味や目的を定めて生きられる人は生きたらいいのだと思うけれど、私はこの身体が生きてしまっているから、そしてとりあえずは身体が死にそうにないからその身体のノリというかグルーヴに従って生きるというくらいの捉え方でいいのではないかと思う。そうすれば自然と思考が身体のノリやグルーヴについてくる。それこそが生きる醍醐味ではないかなとも思うのだった。

グレッグ・バーランティ『Love,サイモン 17歳の告白』を観る。こういう書きぶりはいやらしいと思うのだけれども、『13の理由』というドラマで注目していた女優のキャサリン・ラングフォードが出ているからという理由で観たのだった。ゲイの男の子がカミングアウトして自分を否定しなくなるまでを綴った、ウェルメイドな一編だったと思う。なぜゲイがプレッシャーに耐えなければならないのか、なぜストレートの人間がストレートであることをカミングアウトすることが恥ずかしくないのか。そんな問題を考えさせられる。