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2021/09/10

そんなに読んで、どうするの?』とは稀代の読書家である豊崎由美の書評集のタイトルだが、私も同じようなことを自分に問うことがある。「そんなに読んで、どうするの?」……私にとって読書とは喫煙のようなものである。特にそれを行うことに意義があるわけではないが、楽しいから、心地よいからやる。楽しければ意義や意味を問うみみっちい問いも自分の中から消えてしまう。むろん、知識や教養を得るための読書を否定はしない。ただ、私はそんな風に自分に箔をつけるために読むのではないということである。私はただ暇人なので、暇つぶしに本を読んでいるのだった。

スコット・フィッツジェラルドの後期作品集『ある作家の夕刻』を読む。若くして成功することの意味について考える。『グレート・ギャツビー』に代表される作品で大成功を収めたフィッツジェラルドは、晩年(といっても彼は44歳で亡くなったのだが)アルコール依存症に苦しむ。『ある作家の夕刻』では落ち目の作家と成り果てた彼が自分の現状を皮肉を込めて描きつつ、またカムバックしていい作品を残すことを目論んでいたことが伺える。『ある作家の夕刻』を読んでいるとやりきれなくなってしまった。私もまたアルコールで苦しんだので。

私は『ある作家の夕刻』を読んでいて、同じ村上春樹が翻訳を手掛けた作家レイモンド・カーヴァーのことを思い出した。カーヴァーもまたアルコール依存症に苦しみ、無為に呑んだくれる日々を過ごした人間だったからだ。だがカーヴァーは実際にカムバックして優れた作品を残したのだった。破滅や崩壊を思い、自堕落に暮らすことの甘美な誘惑に逆らって(あるいは、そうした誘惑を乗り越えて)几帳面に書き続けたカーヴァーの作品に再び分け入って行きたくなった。個人的な好みとしてもカーヴァーの方を応援したいと思ったからである。こうして読書は続く。

阿久津隆『読書の日記 本づくり スープとパン 重力の虹』を読み終える。例によって柔軟というかしなやかな知性に裏打ちされた読書日記であり、著者の肩肘張らない生活の心地よさが(むろん楽しい出来事ばかり書かれているわけではないにせよ)伝わってくる。その知性は、読書をメタな視点(つまり、「読書はいいことだ」という価値観そのものを疑う視点)から捉えてもいる。私も自分の読書について考え込んでしまった。だからこそ、冒頭で書いた暴論が浮かんできたのだった。私にとって読書は喫煙と同じ。意義はない。だが、なんの意義もコストパフォーマンスも考えずに没頭できる。そんな習慣を1つか2つ持っていることは幸せ者の証のように思う。